「CHICAGO」

会社の年に一度の文化系イベントで
米倉涼子河村隆一が出演しているのが話題の「CHICAGO」を見に行く。
赤坂ACTシアターにて。TBSのすぐ近く。


個人的にはいま一つ・・・
なんか全般的にアンバランスというか力不足というか。
思い浮かんだ言葉は「木に竹を接ぐ」
原作有り・オリジナル版有りでそこに当てはめたからようやく成り立ってるというか。


(全然好きじゃないけど)劇団四季がいかに完成度が高いかよく分かった。
出演者たちの基礎体力と、演出としての統率力。
意思というか目的の明確さ。


歌に踊りに米倉涼子が体当たりの頑張りを見せてて、卑猥な言葉を口にしたり。
なんかそれが逆に寒々しいというか痛々しかった。
見終わって何日か経過して、今真っ先に思い浮かぶことは「米倉涼子頑張ってたよね」
これって「CHICAGO」日本語版というミュージカルの出来そのものとは何の関係もない。
というか出来がよくないから、そういうとこしか目につかない。
もったいない。


正直に言うけど、キャサリン・ゼタ・ジョーンズが演じていた役の和央ようかがイマイチ。
宝塚出身みたいだけど、それほど歌も踊りもうまいとは思わなかったし、
なんかスターとしての存在感が無かった。
「私は宝塚よ!」みたいな無駄なオーラが無かったのはよかった。
でもその分、他の女性ダンサーたちに混ざったときに全然目立たない。
ミスキャストだと思う。
米倉涼子キャサリン・ゼタ・ジョーンズ側を演じて、
誰か別な人がレニー・ゼルウィガー側を演じた方がよくなかったか。


歌はうまかったけど、河村隆一についてはそれ以上のことは何も思わず。
お人よしの旦那役を演じた人だけが、唯一納得できるレベルの出演者だった。


何にしても思うのは映画版との落差。
そりゃもちろん、映画とミュージカルは全然別モノなんだろうけど。
それ以前の問題だと思う。


アメリカで作られたCHICAGOという枠組みを持て余している、そういう印象を受けた。
日本人が日本語でアメリカのミュージカルを演じるときの問題、
例えば言葉の問題にモロにぶち当たって砕け散ってバラバラのまま舞台が進んでいく。
日本の言葉に訳してます、それで歌が成り立っていて満足して終わりというレベル。
いいの、そこで?と僕は疑問に感じた。
いっそのこと、舞台を日本に置き換えても良かったのではないか。
陪審員制度が日本でも始まるんだし。
冒険する心が無い。
だから、伝わるものが無い。
つまりさ、無難にまとめようとしたんだよ。
で、スターが出てれば客が入る。ただ、それだけ。
この層には米倉涼子、この層には河村隆一、この層には和央ようか
というマーケティングプランだけで決められた配役。


正直、今回のは
「CHICAGOの日本語版をやります」
米倉涼子河村隆一が出ていれば話題になるでしょう」
以上の「何か」、というか「見せ場」がなかった。
ショーに徹する、そしてその目玉は米倉涼子河村隆一だ!
と言えばそれまでの話なんでしょうけど。
だとしたら自腹で12,500円は高過ぎだな・・・


総論として。
子供に見せて、「ミュージカルって面白いんだよ」と伝える類のものではないよね。