スペイン一人旅 その25(7/28:ピカソはいつピカソとなったのか)

okmrtyhk2009-08-24


終点へ。とても高いタワーになっていて、こちら側はロープウェー待ちの人が大勢いた。
とても狭い発着場にて溢れんばかりの人たちが押すな押すなと。
エレベーターに乗って下りていく。


今回は時間もないのでビーチには下りていかない。
バルセロネータの、椰子の木の並ぶ遊歩道を歩く。
一昨日は向かって右側のレストランの立ち並ぶ側を歩いたけど、今回は左側のヨットハーバー側。
白い豪華なヨットがひしめき合っている。
どれも帆は降ろされ、キールがアンテナのように空に向かって突き出ている。


その頃にはミロ美術館で買ったあれこれに、いつも持っている virgin の袋。
これらを昨日 vaho の店でもらった透明なビニール袋に入れて持ち歩いていた。
そろそろ大きな紙袋を見つけないとやばいなあと考える。
どっかに売ってないものか・・・
絶えずキョロキョロする。
それが、とある電話ボックスの前に来たら受話器と電話機を結ぶ太いケーブルに
これだ!という紙袋が巻きつけられて捨てられていた。
茶色の地に「IKKS」と書かれている。中には包み紙。何か衣服が入っていたのだろう。
当然、もらっていく。
なんでこんなうまいこと落ちていたのだろう。喜んで使わせてもらう。
ちなみに、「IKKS」とは。http://www.ikks.com/
おしゃれやね。日本でも売ってるのだろうか?


今日もまた、たくさんのビキニの子が駅から吐き出される。ボディボードを抱えた男の子も多い。
「Barceloneta」の駅から4号線で1駅、「Jaume I」へ。
下りて地上に出てすぐの場所にカテドラルがある。
午後は17:15より入場可能。ちょうどいい時間だった。
王の広場という、茶色の地味な建物に囲まれた静かな佇まいの場所に出る。
中世の寡黙な雰囲気が色濃く残っている。
そこから簡素な、どことなく厳かな路地を歩いて、カテドラルへ。
あちこちにツアー客とガイド。
この辺ともなると観光名所としてのステイタスも高いのか、
スパニッシュ・ギターを弾くミュージシャンも風格がある。


カテドラルの中へ。前を歩いていた女性が入場を遮られる。僕はオーケー。
肩を出した服装はいけないとのことだ。


中は2畳ほどの広さの部屋に聖母マリア像を初めとして、あれこれの聖人の像が1体ずつ。
その前に鉄格子が敷かれ、しっかりと鍵がかけられている。
時々、開いているのがある。
寄進箱が置かれ、鉄格子の前には火のついた真っ赤なろうそくが何段にもなって並ぶ。
内側は中庭となっていて、夕方の光が降り注ぐ。池には白いガチョウが泳いでいた。
聖堂の中に入る。広くて、天井が高くて、圧倒される。
何もかもが茶色く色褪せ、歴史の重みを語っている。建設開始は13世紀であるという。
信徒用のベンチに座って熱心に祈りを捧げている青年の姿が印象に残った。
「石の寄進が今、キャンペーン」であるといくつかの言語で書かれていた。
もちろん日本語もあった。余っていた小銭2セントを入れといた。なんかの役に立つだろうか。


フレデリック・マレー美術館というのがカテドラルの裏にあったみたいなんだけど、
時間がなくて入れず。


次は「ピカソ美術館」へ。
同じ「Jaume I」にあって、駅の反対側。
交差点にはFCバルセロナの公式ショップがあった。
赤と青の例のユニフォームのレプリカが売られている。
時間があったらサッカーも見たかったな、と思う。
(最終日なので、そういうことばかり考える。何もかもが名残惜しい)


小さな店の立ち並ぶプリンセサ通りを歩く。
質実剛健な雰囲気の本屋があったような気がする。いや、それは別の通りか。
歩いているうちにいい感じのバルを見つける。
ショーウィンドウには料理したばかりのムール貝やソーセージの皿が並んでいて、とてもおいしそう。
今日の夜は絶対ここにしよう、と決める。


ピカソ美術館が路地を入ったところに見つかる。またここも行列。9ユーロ。
ここは写真撮影禁止。


ピカソの生い立ちを辿るようにコレクションが並んでいる。
1890年代、まだ10代のピカソの絵がすごい。
うますぎるんですよね。何描かせても。
単なるデッサンであっても、影の描き方だとか。1つ1つの線に必然性がある。
すげーと舌を巻く。天才ってこのことだよなあ。
うまい下手じゃないんですよね。ただ単に天才。神童。
でも、この頃の絵は、まだピカソじゃない。
うますぎてあれこれの手法を吸収して描いてるけど、自分というものがない。
それが10代も後半になってくると様々なものが溶け合ってフツフツとたぎるようになって、
18歳の頃、描かれる肖像画は例のあのけだるい視線をまとうようになる。
1901年、20歳、青の時代へ。それまで制御しきれなかったものが全てが一気に収束する。
そしてピンクの時代で芳醇さを身につけ、キュビズムの爆発。


時代が飛んで、1957年の赤・黄・黒とピアノと少女ばかりを描いた部屋があった。
絵皿の部屋。魚のレリーフが貼り付いていて、目玉が飛び出ている。
唸ったのは、葉書サイズの線描画を集めた部屋。主に裸の女性を描いている。
どれもタッチが違う。神経質に線を重ねたもの。原始的なもの。神話的なもの。
サイケデリックな色彩を感じさせるもの。風刺的なもの。
版画のように真っ黒な太い線がベタッとしているもの。南米の雰囲気を模したもの。
1970年の作品らしい。


ここは10代のピカソの天才っぷりと青の時代への移り変わりを味わう美術館であって、
これと言って有名な作品はなかったように思う。


□公式サイト
http://www.museupicasso.bcn.cat/


企画展として、Kees Van Dongen という画家の回顧展が行われていた。
詳しくは分からないけど、同時代の人なのだろう。
フォービズム、キュビズムの頃はピカソと併走していた。
しかしその後は、突き抜けなかった。そんな印象を受けた。
具象は具象としてしか描けないという諦めのような。
たった1つ、「Spotted Cinema」という白黒の馬?を描いた絵がよかった。


ミュージアムショップへ。
美術館のガイドブックを買おうとしたら、
4.9ユーロだったか、非常に小さな手の平サイズのガイドブックがあってそれにした。
あと、先ほどの線描画を集めてコラージュした絵葉書。2ユーロ。
Leonardo Balada というスペインの作曲家に「ゲルニカ」という作品があるようで、
そのCDが売られていた。迷って、日本でも買えるかもと思って、やめておく。