「ウィトゲンシュタイン」

編集学校の課題の関係で、ブルームズベリー・グループに興味を持つ。
今から100年前。ケンブリッジ大学の「使徒会」と呼ばれるエリートたちの集まりの私家版が
後の小説家ヴァージニア・ウルフの家で行われるようになり、
ヴィクトリア朝的価値観の束縛から逃れ、性的にも)自由な雰囲気の中、
反帝国主義社会主義フェミニズムなどの新しい思想を話し合い、共有し、刺激し合う。
経済学者のメイナード・ケインズや伝記作家のリットン・ストレイチーらがメンバー。


周辺の友人たちには哲学者・数学家のバートランド・ラッセルや、
小説家のE・M・フォースターや哲学者のルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインらがいた。
21世紀の目からすると、錚々たる面子。
もしかすると今の人は、「だいたい100年前のイギリスの人たち」ぐらいのイメージはあったとしても、
若い頃からの、無名時代からの、親しい友人同士だったと知ることはないのではないか?
実際、僕も知らなかった。


この頃の雰囲気を知るために本を読むだけでなく、DVDで映画も見る。
E・M・フォースター原作でジェイムズ・アイヴォリー監督の「モーリス」や「ハワーズ・エンド」が
いいんだろうけど、TSUTAYA DISCAS に予約しても待てど暮らせど音沙汰なし。
先に届いた「ウィトゲンシュタイン」を先日、見た。


一応伝記ものなんだけど、
デレク・ジャーマン監督なので、史実を忠実に再現することには興味がなく、イメージが先行。
真っ黒い部屋というかスタジオにウィトゲンシュタインの兄の弾くピアノや
バートランド・ラッセルとオットリン・モレル婦人(当時、彼らのパトロンだった)が
いちゃいちゃするベッドが置いてあるだけ、という簡素なセットで、
子供時代のヴィトゲンシュタインと大人になってからのウィトゲンシュタインが交互に現われて
「言語の誤謬が哲学をもたらした」など、有名な発言を発する。
その要約というかエッセンスの抽出の仕方が巧みで、その人となりや出来事がよく分かる。
意外とうまい。デレク・ジャーマンはこれまで苦手だったんだけど、これはいい作品だと思った。
なお、メイナード・ケインズバートランド・ラッセルルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
そっくりさんなんじゃないかって感じの役者が出てくる。
ものすごく俗物っぽく描かれる。


それにしても、なんでデレク・ジャーマン
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインを取り上げることにしたのか?
同性愛者で、西部劇とかミュージカルとカ、映画が好きだからだろうか。
イングランドに流れ着いた異邦人だからだろうか。
ま、その辺なんだろうな。哲学そのものはたぶん、問題ではない。


ブルームズベリー・グループは「嫌な連中」だと言及されるだけで、
登場するのはメイナード・ケインズ
顔に派手に彩色された、ヴァージニア・ウルフの姉の画家、ヴァネッサ・ベルだけ。
ヴァージニア・ウルフは出てこない。
これは、実際どうだったかは別として、
ヴァージニア・ウルフがガチガチのフェミニストというイメージがあって
それがデレク・ジャーマンの気に沿わなかったからではないか・・・


脚本が有名な文芸批評家、テリー・イーグルトンだというのが驚き。
なるほど、だからウィトゲンシュタインの哲学的な言葉の数々が
こなれて引用されているのか。
「文学とは何か」って学生時代に僕も読んだなあ。