本屋で働く

昨日は図書館で働くことについて書いた。
図書館が非活性化された知識や情報を溜め込んで
ゆっくりとした死へと向かう空間であるならば、
そしてそこに後ろ向きな気持ちを抱くのならば、
本屋で働くというのはどうだろう?


しかしそれも
「え!? 本ってこんなに売れないの!?」
「これ全部返本してしまうの!?」
って現実に気付かされて、それはそれで暗い気持ちになりそうだ。


・・・って話はいったん置いとくとして。
前から気になっているのが、なぜ本屋は時々本の並びを変えてしまうのか?
ということである。
昨年だったか。神保町の三省堂の一階の売り場がガラッと変わって、
どこに何があるか分からなくなってしばらくまごついた。
えー? SFはこんな隅に追いやられたの?
売れる本、売れるジャンルはより適切な位置に、ということなんだろうけど。
そもそもの話並び替えたら売れるようになるんだろうか?
そういうマーケティングデータがあるのか。


本屋で働いていて一番やりがいがあるのは、
自分がプッシュした本が売れたときなんだろうな。
目利きの店員がわずかばかりのスペースをもらって
自分で渾身の熱意溢れるポップを書いて、平積みにする。
そんなふうにしてその店だけでまずは売れるようになって、
話題になって雑誌やテレビで取り上げられ、飛び火していく。
そういうケースをたまに聞く。
蟹工船』ブームの始まりがそうだったような。
コーディネーター、アドバイザー、仕掛け人。
売れるから売るじゃなくて、売りたいから売る。
それができる環境とか状況って幸福なことだよな。


話変わって、図書館と本屋の大きな違いは
本が新品なのかどうかもさることながら、
もっと根本的なこととしてはその本を1冊だけ取り扱うのか、
それとも不特定多数扱うのか、というところにあるのだと思う。
不特定多数は、大事なこととしてゼロがありえる。
世の中に出回っている本のほとんどがゼロとして扱われ、
そこには並ばないということになる。
逆に、売れるならたくさん仕入れる。
資本主義の力学がそこに働く。
だからその本屋に1冊しかない本というのは非常にきわどいバランスを保って
そこに存在しているというわけだ。
売れたところで補充されないことだってありえる。


僕の知る限り図書館は全く逆で、
1度在庫として扱うことになった本は1冊以外ありえない。
目の前の棚に収まっている本は商品としての役割を終えて、本そのものとなる。
それは種の代表として1冊あればよくて、
個々の本が取り持つ、他との差異・差別、つまりユニーク性が重要になってくる。


そうか、自分で今書いていて気がついたのだが、
図書館という場所には資本主義の原理が働かない。
当たり前といえば当たり前だが。
借りるのは普通タダだし。
資本主義の勢いから切り離されてしまったがゆえに
どこの図書館もひっそりとしているのだ。
本を読むためには私語厳禁というだけでなく。
なんだか、薄暗い。


取り止めがなくなってきた。また、別の機会に考える。