教室の生徒の中に建築関係の方がいらっしゃって、
回答のやりとりの合い間に建築のことを少しずつ話してもらっている。
前から興味がありつつも手が出せていなかった領域なので、素直に嬉しい。
しかもただ本を読むよりも活きた知識となる。
「建築物は100年先も残ることを前提にしているので、
多くの建築家の考え方は保守的と言えるかもしれない」
といった一言を聞くと、なるほどなー、と思う。
例えば昨日はこんなことを考えていた。
建築という形式の特殊性。
確かに図面があれば恐らくはその通りに建てられるだろうし、
建ってしまうとその見た目は誰にとっても同じになる。
しかし、例えば家であればその後、誰がどう住むかによって変わっていく。
全く同じ規格で建てられた住宅がその区画に20棟あって、20年後。
その敷地内で庭に何を植えるかとか、建て増しをするといったことも含めて。
ハードウェアとソフトウェアの関係性とでも言うのか。
瞬間を断面的に切り取ることと、時間の流れに捉えることの関係性とも言える。
建築(物)ってそれが完成するまでのプロセスと
完成した瞬間のスナップショット、
それが完成した後の経過から成り立っている。
そこまで考えていたときに次のお便りが届いて、
「竣工写真」というものが大事であると。
建物を写真家に撮ってもらうんだけど、写真家ごとにスタイルが異なって
目の前にないその建築物をどう見せるかというのが全然変わってくる。
建築家のスタイルとの組み合わせ。
そうだよなー、同じ家を撮影するのであっても写真家ごとに
光の加減や色彩の感覚、角度や被写体との距離感、背景との関わり具合などなど
全く違うものになりそう。照明の用い方、レンズの選び方。
そしてそれを何気ない日常の風景として撮るのか、ストーリー性を演出するか。
いや、そういうのって「フォトグラファー」が
ただ単に家を素材にしたときの話であって、
プロの建築写真家は余計なものは持ち込まず、
図面を展開した上で完成した家そのものを量として質として撮るのか。
…そうは言っても、必要最小限だけを捉えたとしても
手触りや質感ががらりと変わってくるんだろうな。
単純にうまい下手、得意苦手もあるだろうし。
具体的な形あるものをつくるというとき、
規模も難易度も有用性も、そして芸術性も
その頂点はやはり建築にあると思う。
人びとが日々暮らし、仕事をする空間を守り、育むものとして。
もう少し考えてみよう。