熊野古道を歩く その4(2/17:新宮の夜)


18時前。空はだいぶ暗くなった。
あとは食事をして本を読んで寝るだけか。
ホテルの近くの小料理屋がなぜか気になるんだけど、まあ駅前まで出てみるか。
「お食事処」と書いてあって田舎のスナックのような店がポツリポツリとある。
だけどはやってるような雰囲気はなし。金曜の夜、皆どこでどうしているのか。
駅前には焼き鳥屋が2軒。どちらもパッとせず。
勝浦行きのバス停があって、その向かいに徐福公園。閉まっている。中国風の構え。
ライトアップされてなんだか妖しい。


三重交通による長距離バスの掲示があったので見てみたら
新宮から東京方面への直通バスがあった! もちろん深夜バス。
横浜、池袋、大宮と停車して池袋まで10,190円だった。


なんとはなしに海辺まで歩いてみる。
王子製紙のきれいな公園があって、その隣に大きな工場。
製材所がまだ仕事をしている。
大きな材木問屋に丸太が積み上げられている。そして巨大なトラックが並ぶ。
中上健次のイメージに直結する新宮にようやく出会う。
その背後にはコンビナートの白い煙。


そのまま海辺を歩き続けていたら、突然大きなパチンコ屋が目の前に。
駐車場が野球場が三つも四つも入りそうに大きい。それがほとんど埋まってる。
入っていく男女、出ていく男女。ドアが開くと賑やかな音楽が聞こえる。
これが今の新宮なのか。そのとき僕はこの町を見終わった気がした。


そのままトボトボと引き返す。
メモをまとめようと思うが、喫茶店の類はチェーン店だろうと自営だろうと駅前に全くなし。
仕方なく駅の待合室へ。家に帰る中学生たちが騒いでて、電車が来ると消えていった。


僕はここ数年、新宮は日本文学の聖地のように思って憧れていたのだが、
それは幻だったようだ。木っ端微塵に砕かれた。
再開発後の普通の町に「路上」の面影は皆無。パチンコ屋が賑わうだけの凡庸な町。


はあ、という気分で歩く。あとは晩飯プラス一杯と思って、
結局最初に気になった、ホテルの近くの店に入ることにした。
「かあさん」という名前。串揚げとマグロが看板料理のようだ。
客が入っているのかいないのか、そもそも何がどんな値段なのか外からは全く分からず。
そこのところが少し不安となるが、意を決して入ってみる。


先客が奥の座敷に一組とカウンター席に一人。僕もカウンター席に座る。
おばちゃんが一人で切り盛りする。
突き出し代わりにカウンターに置かれていたセロリの和え物を頼む。
「ひろめ」という海草のしゃぶしゃぶがイチオシだというのでそれにする。
串揚げは豚肉、ホタテ、かしわ、レンコン、山芋、ずり(砂肝)。
そして牛スジのスタミナ焼き。


ここで思いがけないことが起こる。


「兄ちゃん、新宮はどこ見たん?」
中上健次の生まれた家のあった辺りを」
「ああ、ケンジくん? 幼馴染なんよね」


そこに、ガラガラガラ。「あら、いらっしゃい」
(僕に向かって)「あ、この人ね、ケンジ君のお兄さん」
カウンターの皿を見て、(僕に向かって)「この牛筋食ったか? 固かったやろ?」
「え、ええ、固かったです」


そんなこんなで、ちょっと話を聞く。
中上健次が死ぬ間際、お兄さんが病院を訪れたとき、
「もう少し生きていたら、ノーベル賞が取れた」と悔しがったことなど。
店は在りし日の原田芳雄が20年来訪れ、今は佐藤浩市も訪れる。
写真を見せてもらった。


こんなことがあるのか…
マジでビビッた。


食べ物はどれも美味しかった。
「ひろめ」のしゃぶしゃぶは一人前用の小さな鍋にレタスとエリンギと豆腐。
そこに茶色い海草を入れるとツヤツヤした緑色となる。
ダシがとてもうまくて、何で取ってるのか聞いたら秘密とのことだった。
最初はビール。途中から鈴鹿で作ってもらっているという
店のオリジナルの焼酎のお湯割りに切り替える。
勧められるがままにマグロの刺身や煮物も。
たくさん飲み食いしているうちに結構な金額になったけど…、ま、いいか。


酔っ払って部屋に戻ると、iPhoneのイヤホンがない。
忘れてきただろうかと店に引き返す。あった。
他にお客さんはなく、かあさんは高野山で有名なゴマ豆腐の仕込をしていた。
せっかくなのでもう一杯飲んで買える。熊野の地酒「太平洋」


浴槽にお湯を入れて、出てきて
何とはなしにベッドに横になったらそのまま眠ってしまった。
目が覚めて午前1時半だったか。布団の中にもぐりこんで眠る。