光が丘の昔のこと

昨晩は「おさんぽ神保町」の取材。
古書店店長の方と飲むという企画の2回目。
前回は妻が担当で、今回は僕が原稿を書くことになった。
以前「Bilbi」だったところが諸事情で残念ながら閉店。
代わりに入ったのがパンバル「PANKU」という店。
パン屋が毎日焼き立てのパンを送ってくれる。
名物のカツサンドがおいしかった。


今回のテーマで一通り話が聞けたので、
そのまま飲み続けてよもやま話を。
光ヶ丘の近くに住んでいたことがあるとのことで、少し聞いてみた。


練馬のあの辺りは昔、農地が広がっていて住宅地になったのもここ10年、20年の話。
相続税が払えなくて売り払うという。
僕らの住んでいるところもそうで、大邸宅が広がっていたらしい。
ゆえに今、同じ番地に10軒近くの家が建っている。
農地が広がっていたことと関係があるのか、風が強い。からっ風。
砂を巻き上げて大砂塵となることもあった。
だから昔の人たちはケヤキの木を植えた。
そういえば昨年今年と春から夏にかけて風が強いなあと思うことが度々あったが、
あれは練馬特有の強風だったのかもしれない。


光ヶ丘の団地と公園となっているところは昔、米軍の宿舎が広がっていた。
グラント・ハイツという。
米軍の施設だからと言って高い塀で囲まれていて中に入れないということはなく、
柵の類はなくてその気になれば誰でも入ることができた。
周りは泥と砂利ばかりなのに、グラントハイツは芝生で覆われていたから、
子どもたちも当然中で遊んだ。
当時にしては珍しい、ブランコも滑り台もあった。
しかしパトカーで見回りもしていて、来ると「MPだ!」と一目散に逃げだしたと。
半円のコンクリートの低い丘があって、戦闘機の格納庫だった。
自衛隊の練馬駐屯地は昔からあった。などなど。