モーリス・ベジャール・バレエ団2004年日本公演

もうだいぶ前のことになるんだけど、6月13日の日曜日、
モーリス・ベジャールのバレエ団が来日公演を行うというので見に行ってきた。
(公演が行われることを知るとプレオーダーに申し込んでチケットを入手した)


この人の名前は昔から知っていた。バレエの側からではなくて、音楽の側から。
僕が敬愛してやまないバンド、タキシードムーンの3枚目のアルバム「Divine」は
サンフランシスコからブリュッセルにメンバー総出で移住してきたばかりの頃のタキシードムーンが
モーリス・ベジャールの依頼により
グレタ・ガルボの生涯をテーマとした作品のための音楽として作成したもの。
曲目のほとんどが「Mata Hari」「Grand Hotel」「Ninochka」と
グレタ・ガルボの出演した映画のタイトルにちなんだものとなっていて、
その多くでグレタ・ガルボの声がコラージュされている。
暗くて耽美的で実験的な音。世間一般的に「バレエ」と称するもののイメージからは程遠い。
これに合わせてどんなバレエが繰り広げられたのだろうということが僕はずっと気になっていた。
いつか日本で再演される機会があったら見てみたいものだと思う。もうないのかな。
CDのブックレットにはこのときの公演の模様の写真がいくつか使われていて、
今のところそこから想像するより他にない。
(なお、このときの経験に触発されたのかタキシードムーンは独自の音楽劇「The Ghost Sonata」を作成する)


タキシードムーンだけではなく、電子音楽のジャンルで有名な
ここ10年の間にクラブ系の人たちからも再評価著しいピエール・アンリもその曲を提供している。
そもそも2人の間では若い頃から親交が結ばれていたようだ。


とにかく現代のバレエ界の頂点に立つ神様のような振付師。
バレエに詳しいわけでもなんでもないが、1度は見ておきたい、ずっとそう思ってきた。


ロッコ/ドバイから前日帰ってきたばかり。
微熱があって腹も壊していてなおかつ足のマメが痛くてあることもままならぬ状態。
時差ぼけなのか寝ててもすぐ目が覚めたりで起きていても眠いしだるい。
でもせっかく取ったチケットだしなあ、と這うような気分で会場へと向かう。


バレエを長いことやっていた会社の後輩に聞くと、
彼女はヨーロッパのバレエはあんまり好きではないんだけど、ベジャールは好きだと言っていた。
「でも」と彼女は続けて言う。
見に行くとバレエ教室の先生たちのネットワークに捕まってしまって
おばさん連中に「あら〜あなたは○○せんせいとこの〜」と大変なことになってしまうようだ。
だからうかつに見に行けないと。
それにしてもその世界にどっぷり使った人たちによる狭い社会というのはどこにでもあるもんなんだな。


行ってみると確かにそういう人たちばかり。
昔バレエやっていたような若い女性や、今でもバレエを教えているようなおばさんたちばかり。
男性も結構いる。でも何らかのバレエ関係者っぽい。
妙に胸の開いたシャツを着た細身の男性であるとか。
野田秀樹演出のオペラを観たときもそうだが、ああ自分は今かなり場違いな場所にいるなあと思ってしまう。


公演プログラムを買う。
公演はAとBに分かれていて僕が選んだのはAの方。
演目は「海」「バトリー・フュガス」「これが死か?」「バクチⅠⅡⅢ」の4つ。
Bはモーツアルトのオペラ「魔笛」をバレエに翻案したもの。
ただ単純に4つも入ってお得だと僕はAにしたのであるが、
プログラムの写真を見ると「魔笛」の方がすごそう。
バレエとしてのダイナミズムと物語とがしっかりと結びついてるって感じで。
これから見る4作品はどれも小品であって、ベジャールのショーケース的なもの。


プログラムにはベジャールのこれまでの活動の記録が年表になっていて
そこに演出作品のリストが並んでいる。これがまた大変な分量。
2・3年に1本の割合で、ってんではなくてどの年も平均して1年に4・5本は演出しているようだ。
77歳になる今もそう。普通に現役。
今、恵比寿ガーデンシネマでは
ベジャール、バレエ、リュミエール」というドキュメンタリーが公開されている。
新作「リュミエール」のリハーサルから初演に至るまでの半年間を追ったものであるという。
これはちょっと見てみたいぞ。


プログラムの年表に「タキシードムーン」の名前を見つける。
1981年の「ガルボの幻想」という作品のようだ。
マリシア・ハイデ出演、ブリュッセル、王立モネ劇場 とある。
その上には同じく1981年で「ライト」という作品があって、これの音楽は
ヴィヴァルディ、タキシードムーン、ザ・レジデンツとある。
レジデンツも使われていたか!何の曲なんだろう?
ガイドブックのバイオグラフィーを見てもそんなこと書いてない。
そもそもタキシードムーンはどの曲を?
興味は尽きない。


「海」が始まる。新作。
バレエ教室のエピソードであるとかベジャールの少年時代をモチーフにしたもの。
海(La Mere)−女性たち。母親/愛人。
音楽はワーグナーショパンらと並んで
U2「Even Better Than The Real Thing」やハワイ民謡の「Sweet Laiani」が使われる。
場面転換がスピーディーでその場面ごとにつぎ込まれるアイデアが豊富、
躍動感に満ち溢れた作品なのであるが、
体調の悪さゆえにほとんどの部分で寝て起きての繰り返し。
最初と最後だけ見たようなもの。
たぶんこれが今回の演目では最も面白いものであって、もったいないことをしてしまった。


休憩を挟んで、「バトリー・フュガス」
ベジャールの最も初期の頃(1954年)の振り付けなのだという。
ジル・ロマンという男性ダンサーによるソロ。
この人は有名なようで、プログラムのダンサー紹介のページでも1人だけ大きな枠になっていた。
踊りきるとコアなバレエファンが舞台に駆け寄って花束を渡す。
音楽はピエール・アンリのほとんどノイズに近い電子音楽
それに合わせて1人の人間の苦悩(生と死に関わるものなのだろう)が描かれる。
優れたダンサーと振付師の手にかかれば
セリフがなくても、他の登場人物がいなくても、
バレエの基本動作だけをもとにしてたった1人で全てを表現しきれるのだということ。
素直に「すごいもんだ」と思う。


「これが死か?」(1970年初演)
プログラムにはリヒャルト・シュトラウスの4つの最後の歌曲をバレエにしたものとある。
タイトルはその詩の最後の行であるという。
1人の男性と4人の女性が舞台に現れ、
女性たちが代わる代わる主人公と官能的なダンスをゆるやかに交わしていく。
主人公はその人生において4人の女性を愛したということか。
そしてその記憶を辿り直していると。
4つの歌曲により断片化され、4人の女性となると素人の僕からすると
四季のこと?と思ってしまう。
人生の春/夏/秋/冬をそれぞれ別の女性で表しているのではないか。
どうなんだろうな。


「バクチⅠⅡⅢ」
インドをモチーフとした作品。初演は1968年。
舞台には最初3人の男性が座っている。
その後3つの場面が展開され、それぞれ1人ずつ主人公となる。
彼らはその身にまとっている衣装(ジーパンやTシャツなど。それぞれ違う)から
恐らくインドの外の世界、もっと言うとヨーロッパからの訪問者であるように思われる。
彼らにはそれぞれその化身が寄り添い、その化身には女性が伴う。
この3人とはインドの三大神ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァのことか。
化身たちは時々笛を吹くので、もしかしたら単なる道化でしかないのかもしれない。
インド音楽に合わせて男女入り乱れて官能的な踊りを繰り広げる。
「バレエ」という狭い枠組みを軽やかに抜け出て
自らの表現へと飛翔するベジャールの意思というものが感じられる。
さっきとは別な意味で「すごいもんだ」と思う。


カーテンコールではそのベジャールが登場。
この人が神様か!
佇まいが違う。
サロメ」を見に行ったときにもアイーダ・ゴメスに感じたような
会場に入りきれないぐらいの大きくて突き抜けたような雰囲気。
(プログラムにはアイーダ・ゴメスもまた教えを乞いにベジャールのもとを訪れたそうなのであるが、
いつのまにか生徒を教える側に回っていたというエピソードが載っている)


体を使って表現するということ。
それを極限にまで高めていくということ。
バレエに限らずスポーツであっても同じ。
ストイックに来る日も来る日も追求を重ねていく。
常人には耐え難いぐらい長い時間をかけて磨いていった末にようやく見出す何か。
うつろいやすくてはかない何か。
それが舞台の上で表現されるというのを見るというのは非常に感動的なものです。
言葉というものに頼らず、自らの体を完璧にコントロールし、
動作だけを用いて表現を行うのであるから
僕なんかからすればほんと「・・・すごい」としか言いようがない。


バレエに限らずこういう舞踏をもっともっと見てみたいと思った。