「ビフォア・サンライズ」「ビフォア・サンセット」

DVD が安く売られているということもあって、
先月「ビフォア・サンライズ」を買って見てみた。
面白かったのでその続編「ビフォア・サンセット」を昨日見た。


監督は最近では「スクール・オブ・ロック」や「がんばれ!ベアーズ」といった
ヒット作も器用にこなす、リチャード・リンクレイター
ジュリー・デルピー扮するフランス人セリーヌ
イーサン・ホーク扮するアメリカ人ジェリーの2人が主演。
というかこの2人しか出てこない。
うがった見方をすれば、この2人が夜明けだの日没だのの限られた時間の中で
ひたすら歩きながら喋りまくってる「だけ」の映画。
なのにこれが面白い。なぜか、とても、面白い。
会話のやり取りのリズムが自然で心地よい。


「ビフォア・サンライズ」は95年の映画。
列車の中で偶然出会ったジェリーとセリーヌは意気投合、
ウィーンで途中下車して次の日の朝までの時間を過ごすことになる。
街をあちこち歩きながら2人は、
それぞれが若者なりに考えていたり悩んでいたりすることを話し合う。
一夜限りのロマンスが芽生え、半年後に再開することを約束して別れあう。


ビフォア・サンセット」はそこから9年後。04年の映画。
作家となったジェリーのサイン会にセリーヌが現われ、9年ぶりの再会。
飛行場に向かうまでの1時間という時間を2人は同じようにあれこれ話し合う。
パリの街並みを歩きながら。
半年後の再開がなぜ果たせなかったか。それぞれの9年間はどうだったか。
ジェリーのうまくいっていない結婚生活。出会いと別れを繰り返すセリーヌの孤独。
など、など。


「9年後」という設定がいい。実際に撮られたのも9年後。
この9年の間に実際にイーサン・ホークジュリー・デルピーの間に起こったことが
そのまま容貌や身のこなしに自然に溶け込んでいるようで、見てて妙に説得力がある。
メイキングを見ていたらプロデューサーが言ってたんだけど、
1本目はそんなにヒットしなかったので「即、続編」ってことにはならなかった。
だけど監督も主演の2人も作品のことを気に入っていて
いつかまたと希望してやり取りが続いていた、とのこと。
こういう形で続編が長い年月を開けて
同じ顔ぶれで作られることってあんまり聞いたことがない。
非常に幸福な映画作りだと思う。


果たしてまた10年後ぐらいに続編が作られるのか!?

    • -

友達が mixi で「映画バトン」ってのを書いてて僕も書こうと思ったんだけど、
その中の1つに「一番良かったロマンティック映画は? 」って質問があった。
今なら僕は「ビフォア・サンライズ」「ビフォア・サンセット」この2本を挙げる。
見たばかりってこともあるんだけど、
なんつうか30代前半の等身大のロマンスってこういうものじゃないかと思って。


ロマンスはロマンスなので
こういう出来事が自分に起こるかと言えば、まあ、普通ありえない。
だけど「いいなあ・・・」とは思う。
こういう、映画として見てる自分と映画の中の出来事との距離感の「妙味」ってのが
ロマンティックな映画の良し悪しを左右するわけで。
「風とともに去りぬ」みたいな大仰なことは誰も望まない。
だけど、「ビフォア・サンライズ」みたいな出会いと別れならば
「もしかしたらあるんじゃないか、確率は0%じゃないはず」と思ってしまう。
この期待感がやたら高いんだよなー。なぜか。くすぐるのがうまい。
これが同じくイーサン・ホークが出ている「リアリティ・バイツ」ならばこうはならない。


たぶん、お互いのことを知りたくてとにかく聞いたり答えたりする、
それを繰り返すうちに会話がかみ合って流れに乗る瞬間が何度でも訪れて楽しい時間となる、
という日常生活で誰もが実は一番切実に求めていることが描かれているからだと思う。
劇的なことは何も起こらない。それがいい。
恋愛に限らず、たまたま出会った魅力的な人と話をするきっかけがあって、
それで会話が弾むことがあったら、そしてまだしばらくは話ができるとしたら、
それは非常に幸福な時間ではないか?
一部の人にはそれは簡単なことかもしれないけど、
僕を含む多くの人はそういう機会がないか、出会ったとしても話すまで至らないか、
会話にまで至ったとしてもつまらないことしか言えなかったり。
それがジェリーとセリーヌの2人は尽きせぬ泉のように喋り続けて、
やがてそれが心通じ合うことになる。
うらやましいにもほどがあるよ!


そしてそれがまた、ああいう形で再会するんだからねえ・・・


映画という媒体が、一般大衆の隠れた願望を満たすためにあるのだとしたら、
この映画は目の付け所がよくて、非常に高機能だ。
これ以上の恋愛映画は今のところないのではないか?
少なくとも、僕にとっては。