24日のクリスマスイヴの午後、渋谷に出かけた。
信号が青になると大勢の若者たちがセンター街や道玄坂方面へと向かって歩き出した。
ハチ公の前の道路は休日ともなるとスピーカーを積んだ大型のバンを停めて
様々な信条を持つ団体がその主張を行なっているが、
この日演説をしていたのはキリスト教の団体だった。
「神の国は近づいた」とか、そういうやつ。
たぶん、昔から日本全国の繁華街にてクリスマスの時期となると
このようなアピール活動を行なっているのだろう。
もちろん若者たちの耳には届いていない。
気がついたとしても「なにあれ?」と顔をしかめ、
ありふれた路上のノイズとして受け止めただろう。そしてすぐにも忘れてしまう。
キリストの教えを説く低い声が空しく響いて、雑踏の中に消えていく。
白や黄色の紙に黒のインクで印刷された安っぽいチラシが、
捨てられて踏みにじられ、誰にも省みられることのない様子を僕は思い浮かべた。
僕はキリスト教を信じているわけではない。そういう信仰を持ってはいない。
だけどそのときの僕はかなり、暗い気持ちになった。
交差点を渡ってセンター街の入り口には
スピーカーのついた背の高い棒を持った女性が1人ポツンと立っていた。
スピーカーからは向かい側の車の演説を無線で拾ったのが聞こえてきた。
くすんだスエットの上下。身なりの貧しい雰囲気が伺えた。
僕と同い年ぐらいだろうか。30前後。
5歳ぐらいの息子がじれったそうにまとわりついていた。
キリスト教を信じてその団体のために奉公しているのか、
それともただのアルバイトなのか。
棒には確か「神を畏れよ」と大きく書かれた紙か布が括り付けられていた。
臨時のアルバイトなのだろう、と僕は思った。
大勢の人で賑わう渋谷で日曜の午後、
好奇の視線に耐えながらずっと立っているはずなので
それなりの額にはなるはずだ。
もらったお金でその夜はクリスマスのケーキを買って
小さな部屋にロウソクを灯して息子と一緒に食べるのだろう。
HMV やレコファンで CD と DVD をたくさん買って、僕は渋谷を後にしようとする。
スピーカーを持った女性はもちろんそこにじっとしたまま立っていた。
周りの喧騒から隔てられて、暗い影のようだった。
僕はその後ろ姿をわずかばかりの間見つめて、そのまま通り過ぎた。
信号が赤になって立ち止まる。
女性のことが気になったけど、振り返ったりはしなかった。
振り返ったらもう終わりだ、と思った。
僕が僕なりに日々手にしているささやかな幸福が否定されるようで怖かった。
彼女の存在そのものが否定するのではない。
僕が僕を否定するのだ、
そして僕は終わりのない自分だけの争いに身を投じるのだ。
メリークリスマス。
この世界に存在する全ての人に祝福を。