ツアーでペルー その26(4月24日)

クスコの夜景


クスコ行きに乗る。
隣には体調を崩したF君が座る。顔が青ざめてほんと具合が悪そうだ。
ガイドのMさんとともに次の駅で降りて、救急車を待たせて病院へと向かうことになった。
次の駅と言っても18時40分到着。まだかなり先。
乗っている間F君は何度も辛そうに寝返りを打つ。見てて気の毒になる。
だけどしてやれることは何もない、思いつかない。


僕らの座った席の周りはフランス人の団体。
ツアーなのかなんなのか老若男女入り乱れた編成で楽しそうにしている。
景色をデジカメやビデオカメラで撮影したり。
あれはいったい何の団体だったのだろう?
大学教授みたいな知的な風貌の人が多い。
いつどこの国に行ってもフランス人の団体ってのはいるもんで、
毎度毎度他の国の人たちとは違う独特な雰囲気を放っている。


車内販売のコーヒーを買って飲んで
「ラム・パンチ」を読んで過ごすのであるが、
空はどんどん暗くなっていって
いつのまにか本を読むことが不可能になっている。
車内が明るくなることはなく、オレンジ色の薄暗い照明が灯るだけ。
かろうじて顔が判別できるだけの明るさ。
帰りは疲れて眠って過ごす人が多いからなのだろう。
列車はひたすら森の中、暗闇の中を駆け抜ける。
空には星が出る。
赤い光と黄色い光が夜空に浮かんでいて、
星でもなく飛行機でもなくあれはいったいなんなのだろう?と気になる。
空が一瞬白く光ったことも。
隣の車両で誰かがフラッシュをたいて写真を撮ったのか。


次の駅オリャンタイタンボに到着する。
F君がMさんに付き添われて下りていく。
ホームをゆっくりゆっくり歩いて、どこかに消えていく。
しばらく停車する。
発車したときに見ると、待合室で点滴を受けていた。


F君の座っていた席が開く。通路を隔てて反対側にはMさんが座っていた。
(Mさんは乗ってる間ずっと眠っていて、
 大丈夫だろうか、ちゃんと起きれるだろうか・・・、と不安だった)
Mさんがいなくなって、添乗員のKさんは隣の車両という状態で
次の駅でみな降りなくてはならない。
全員眠り込んでいたら終点まで行ってしまうよなー。
トイレに行くときに車内を見てみたら見事にみんな眠っていた。
誰かが起きてなきゃいけないよなあと勝手に使命感を感じて起きている。
眠くもなかったし。


でもすることが全くない。
夜空の星を眺めながら考え事をするだけ。
自然とこれからの人生のことに思いが向かう。
仕事とプライヴェート、どちらも行き詰まっている。先が無い。明るい材料がない。
これから先どうしたらいいのだろう・・・
その現実逃避のために今回わざわざペルーまで来たんだな、
ということが今ではよくわかる。
純粋にマチュピチュやナスカの地上絵が見たくてツアーを申し込んだのではない。
普段の生活から余りにもかけ離れた壮大な光景を目にしないことには
何かが自分の中で麻痺して壊れてしまいそうだったから。
より正確には、そういうことなのだろう。
いろんなことを言い訳にしてだらだらと働き続けて、
生活していくだけの金にはなるからと「判断」をどんどん先送りしていく。
日々をやり過ごすだけで精一杯になる。
そのうち、やり過ごすことすらままならなくなっていく。
どこかで自分というものを膠着した毎日から切り離して
客観的に眺める時間が自分には必要だった。


僕はこれから先、どうしたいのだろう?
そのために何ができるだろう?
・・・答えは出ない。いつだって答えは出ない。
日本を遠く離れてペルーまで来たところで、
そんな簡単に「答え」が出てきてくれるわけがない。
列車は深い森の中、暗闇の中をひたする走り続ける。
車両の揺れる音、車輪の軋む音だけが聞こえる。
夜空に星が輝いている。
無数の星が瞬いている。


次の駅ポロイ到着は20時。
することがなさ過ぎて、眠ってしまう以外になかった。
ウツラウツラしていたら時間が過ぎていった。
何度目かに目を覚ますと町の明かりが見えるようになった。
車掌が「もうまもなくポロイ到着・・・」と告げながら通路を歩く。
その声でみな起き上がり、降りる支度を始めた。


ポロイのホームに降り立つ。
Mさんがいない中、添乗員のKさんが僕らの乗るバスを探す。
朝見かけたクラブツーリズムの添乗員の方が、
「Mさんのツアーの方、バスはこちらですよ!」と僕らの分も案内してくれる。


バスに乗ってクスコへと向かう。
隣に座った一人参加のおじさんが南十字星が見えたと言う。
夜景がきれいなポイントで僕らはバスを降りて写真を撮る。
そのとき、あれが南十字星とみんなで指差しあう。
本物のちっぽけな南十字星と、ニセモノの大きな南十字星と。


それにしてもデジカメってどうしてきれいに夜景が取れないのだろう?


ホテルに戻って、そのまま1階のレストランで夕食。
ビュッフェではなく、ちゃんとしたディナー。
若い夫婦と一緒の席になる。
アグアス・カリエンテスにてなんかお土産を買ったか聞いたら、
彼らもまた特に何も買わなかったとのこと。
ペルー訪問を記念にスーツケースに貼るステッカーを探しているそうなのだが、
その手のものって全然売ってない。
どこかで見たような気はするが、確かにそういうの普通見かけない。


デザートのケーキを食べる。
ワゴンで運ばれてきて、いくつか種類がある中から選ぶ。
彼らがプリンだと思って取ったのは、
寒天をオレンジ色に着色して固めただけのものだった。


僕らが食事を終えた頃、MさんとF君がホテルに戻ってくる。
治療費は保険が聞くとして、
オリャンタイタンボからクスコまでの交通費ってどうなるのだろう?
なんてことが気になった。
旅行会社が負担するのだろうか。それとも自己負担なのだろうか。


部屋に上がる。
昨晩割ったグラスが片付けられている。
しかし、替わりのグラスがない。
フロントまで行ってそのことを伝えるのだが、うまく伝わらない。
日本語でグラスと呼ばれてるものは英語ではなんと言うのだろう?
困ってとりあえず「カップ」と言ったら「食堂から持ってってくれ」となるが、
カップで酒を飲んだり歯を磨くのはちょっと嫌だ。
そうこうしている間に、なんとか
ベッドメイキングにて問題があったのだということは伝わる。
フロントの男性とは
「ベッドメイキングの担当を部屋によこすということでよいか?」となる。
部屋で待っているとドアをノックされて、
開けるとホテルの制服を着た小柄の男性が。
バスルームに連れてって、
洗面台を指差して「ない」と言うとすぐにも彼は理解した。
グラスを持ってきてくれた。チップを1ドル渡す。


ようやくピスコを飲むことができて、眠りにつく。


昨日ホテルのアメニティのシャンプーを使ったら髪がごわごわになったので
今日はシェラトンから持ってきたシャンプーを使う。