バンコク その12

okmrtyhk2008-10-01


9月22日月曜日。
アユタヤ終日観光がロビー集合7時半となっていて、6時半起き。
7時間半寝たことになるだろうか。熟睡。全然目が覚めなかった。


よせばいいのに1Fのレストランに入って朝食を食べてしまう。
辛くないトム・ヤム・クン系のスープがあったりして、ついつい・・・


昨日と同じガイドの方が僕らを担当する。
バンに乗って次のホテルへと向かう。
一緒のバンになった50代か60代のおっさんたちは
平たく言って性欲の解消の仕方について話していた。


月曜だったせいか、街は人通りが少ないように感じられた。


アユタヤ行きクルーズのフェリー乗り場へ。8時半出発。
他のHISのグループやJTBのグループと一緒になる。
欧米人は皆無だったように思う。ほぼ日本人。
その後船に乗ってからの案内のテープも日本語だった。
(もしかしたら、日本人が乗る船、中国人や韓国人が乗る船、
 アメリカ人が乗る船と分けてるのかもしれない)


2階建のフェリーが船着場に到着して、乗船。船の人たちが敬礼して出迎える。
2階席を確保するとのデッキへ。最前列のデッキチェアに沈み込む。
船が走り始めて、天気は曇。日差しは弱い。
風は穏やかに吹いていて、潮風じゃなく川の風。つまり、ベタベタしなくて心地よい。
寝そべってシンハー・ビールを飲みながら風に吹かれていると最高に気持ちよかった。
ほろ酔いと船の揺れに身を任せて、ここは天国なんじゃないかと思った。
こんな思い、人生にこれまで何度あっただろう。これから先、何度あるだろう?


かなり川下から出発したので、昨日見たワット・アルンやワット・プラケオの側を通り過ぎる。
バンコク最初の病院であるとか。王室の利用する船の保管庫も川岸にあった。
上流だったけどシンハー・ビールの工場には巨大なシンハー・ビールの缶が置かれていた。
(キリン・ビールの工場でも昔、似たようなのを見た記憶がある)


いくつもの橋をくぐる。
市民たちを乗せた水上バスがゆっくりとすれ違う。
艀に引かれた搬送用のボートが何艘も連なって砂を運んでいる。
あれは何のための砂なのだろうか?ただ単に砂がないから?
それともなんらかの工業用の用途に?
気になった。何度も何度も同じような艀に出会う。


太陽の周りに雲1つなくなって、カンカン照りになる。
日差しが痛くなる。こんなときに限って、風もなくなる。
しばらくの間はそれでもデッキチェアで寝てた。
顔と腕は日焼け止めを塗っていたから問題なし、
足首から甲にかけては塗り忘れていたのでテーブルの陰に足を隠して。
でもそれでも耐え切れなくなってきて、サウナのようになったので船室に避難した。
地球の歩き方を眺めたり、川面を眺めながら取り留めのないことを考えて30分ほど過ごした。
もう1度デッキへ。
先輩はその間もずっと1人で寝てた。
最初の頃はデッキを利用する人も多かったのに、暑さに降参して皆船室に引っ込んでいた。
相変わらず日差しは強かったが、風が戻ってきたのでもう1度デッキチェアに沈み込む。
しばらくすると暑さもまた心地よくなってきた。


30分か1時間かそうして過ごした。眠ってるような眠ってないような。
昼食の時間になって船室に戻った。
またしてもバイキング。そしてまたしてもたくさん食べてしまう・・・
グリーン・カレーに焼き飯・・・
シンハー・ビールを飲む。1缶120バーツもする。高い。クルーズ料金。
でもまあ仕方なし。
船は人工の運河へと入っていく。


食後またデッキチェアへ、と思っていたのであるがすぐにも下船ということで諦める。
別れを惜しむ内容のタイ・ポッポスが船内に流れる。


クルーズ船を2つ横につなげて、中をくぐり抜けて岸に上がる。
川面を魚が跳ね上がる。ナマズのような魚だった。
岸には川の洪水対策のために土嚢が積み上げられていた。


下りた場所がアユタヤかというとそんなことはなかった。
ここからさらにバスに乗って40分かけて「バーン・パイン宮殿」(夏の離宮)へと向かうことになる。
バスは朝に乗ったのと一緒。
そうか。このアユタヤ訪問のオプショナルコースはクルーズ付きとクルーズ無しが選べたんだけど、
(もちろん料金はクルーズ付きの方がぐっと高い)
結局途中地点から合流になったんだろうな。
バンコクからバスに乗って行っても一緒。途中が船になったというだけ。
でも、せっかくの機会だし誰もがクルーズ船に乗って行く。


停車していたバスが僕らの近くに寄ろうと走り出したら道路に寝ていた犬を引きそうになる。
慌てて犬が逃げる。
疥癬病みの犬。毛どころか皮膚もはげていて、痛々しかった。可哀想だった。


都会のバンコクとは違って、北に80kmの地点にあるこの辺りはかなり田舎。
バスは緑の中を走っていく。
水田。川の上、ないしは沼沢地?の上に建てられた高床式の家。
草原が広がったかと思えば、水牛が草を食んでいる。
椰子の木なのだろうか、南国風の木が連なる。
柱と屋根だけの家をよく見かける。
テーブルと椅子が並んでいて、どうも食堂のようだ。ペプシの看板も掲げられている。
そんな食堂がいくつもいくつも固まっていて、どうやって商売が成り立つのだろう?と不思議に思う。
道路に面した1民家につき1食堂ぐらいの勢い。
もちろん、大勢の客で賑わっているということはない。
客は皆無、あるいは1家族がポツリと座っているだけ。


町に入って、4人掛けの座席を運転席よりも前に据えつけた不思議な形のバイクを見かける。
4人掛けの座席を逆に後ろに据えつけたバイクも見かけた。
あと、リポビタンDの看板。