バンコク その13

okmrtyhk2008-10-02


「バーン・パイン離宮」(夏の離宮)に到着する。
その名の通り、アユタヤの王族たちが避暑に利用した宮殿。
広々とした庭園があって、湖の上にはタイ風の小さな寺院、その向こうにはギリシア風の東屋?も見える。
いつの時代に建てられたのか瀟洒な西欧風の建物もちらほらと。
(英語のパンフレットには「Residential Hall」とあった)
乙女を形取った白亜の像やシーサー?の石像。世界各地の美を集めようとしたのか。
それらが嫌味なく、静かに溶け込んでいて、広々とした空間にポツリポツリと配置されている。
アユタヤの王朝の元に集まった富の大きさ、
ここはその表層の一角に過ぎないと考えたとき、そのとてつもないスケールに圧倒される。


様々な木々。マンゴーやプルメリア
庭園の真ん中辺りだっただろうか、植え込みの木が象の親子の形に刈り込まれていた。
その他にも鹿の群れや、イソップ童話の「ライオンとネズミ」をモチーフにしたもの。
(後者はどれがそうなのかよく分からず、ガイドの方も首を傾げていた)


赤と白と金、中国風の本堂に入る。この中は写真撮影不可。履物を脱がなくてはならない。
大理石の床がひんやりとする。暑さ対策のためか、大きな扇風機が何基も床に置かれていた。
2階に上がると、閉ざされた部屋の向こうに財宝の数々が飾られていた。
贅の限りを尽くして作られた、漆黒と金の、あれは屏風だったか。
まるで細密画のようにラクダの骨を彫って作られたミニチュアの宮殿。


四方を湖に囲まれた、小さな島に塔が建てられている。螺旋階段を上っていく。
3階建てになっていて、庭園が見渡せる。
船の上では日差しがジリジリと暑かったというのに、塔の中は涼しげな空気が漂っている。
夏の離宮と呼ばれたのもよく分かる。
夏の暑さを逃れてここを避暑地として訪れたならば、永遠にだって住み続けたいと思うよね。
塵一つ落ちていない、静謐な空間。


東屋の中では15バーツで魚に餌として与えるパンが売られている。
僕らは買わなかったけれども、居合わせた日本人のOL2人連れが試してみた。
千切って水面に投げると、鯉のような魚たちが寄ってきてすぐにもパンに食いつく。
「ああ、ここで泳ぐ魚になりたいなあ」と僕は思った。
他の世界は知らなくてもいい。
ただこの小さな湖の中で観光客が投げ入れるパンを待っていればいい。
それでもいい。楽園は退屈な、小さくなものでいい。


300バーツだったかでカートをレンタルして乗ることができる。
時間があったら乗りたかったんだけど。
のんびり走ったら気持ちよかっただろうな。


入口の売店でコーラが20バーツ。シンハー・ビールが35バーツ。
シンハーは船の中の4分の1の安さ。これが本当の値段か。
僕はコーラを買った。後輩はミックスジュースを買ってみた。
5種類か6種類の果物をその場でミキサーにかける。
台の上にはマンゴーやスイカがあっただろうか。


バーン・パイン離宮から次は、日本人町の跡へ。
バーン・パイン離宮はアユタヤ市街から20km離れた場所に位置していたところにあって、
さらにバスに揺られてアユタヤの中心部へ。
江戸時代初期、日本の歴史にも出てくる、山田長政が住んでいたとされる。
入口に土産物売りの小さな店が並んでいて、麦わら帽子や絵葉書、民族衣装などを売っている。
博物館の中でアユタヤの発展の歴史についてビデオを見る。
交易の要所としてヨーロッパからも商人が訪れ、アジア各地から様々な珍しいものが集められ・・・


博物館の外には象をモチーフにしたオブジェが飾られ、
その隣の日本庭園には砂礫が敷き詰められ、灯篭まであった。
山田長政記念館みたいなお土産屋に入る。
朱印船の模型、日本人町を再現したジオラマがあった。あと、山田長政の像。
お土産コーナーにはタイ・シルクを初めとして
セパタクローの球だとかあれこれいろんなものがあって
(興味が無いから全然覚えていない)
珍しいところではマンゴスチンの焼酎なんてのもあった。
ほぼ100%日本人向けの店。日本人の店員もいた。
「入口付近で売られていた商品についての苦情は当店とは一切関係ありません」
と大きく貼り紙がされていて、正直いい印象を持たなかった。
どっちにしても、観光地ズレしているような。


ここを歩いているときが、この日最も暑かった。
日差しがきつくて、チャオプラヤー川のほとりを歩いていたとき、
眩しくて目を開けていられなかった。
麦藁帽子を買おうかどうしようか、あちこち回るたびに迷って結局買わず。
今はよくても、邪魔になって最終日にホテルに捨てて行くことになりそうで。