第35回感門之盟

日曜はイシス編集学校の卒業式イベント「感門之盟」
35回目にして今回は物語講座:第五綴だけ。
これまでは守・破の間でちまっと隙間で行われていたのが、
豪徳寺に編集工学研究所が移ってようやく単独開催の運びに。
2期生として僕も顔を出した。
25破の教え子が今回受講したということもあって。


14時開始。績了(全ての作品を提出)した方の作品を集めた
「綴懇巻」が文叢(教室)ごとにステージで授与されたのちに、
今回のスペシャルゲスト鴻巣友季子さんのトーク。質疑応答。
そして、各賞と冠綴賞(グランプリ)の発表へ。
いきなり受賞作品のタイトルを告げるのではなく、
プロの役者の方が作品の冒頭を朗読した。


過去の期の冠綴賞受賞者が来てますってことで僕はスピーチをする。
最近見かけた塾の入試問題のことを思い出す。
「Q“現象”の反対語は? A“本質”」
そうか、と思った。小説とはあくまで現象であって、物語が本質。
本質ゆえに物語とは動かすものであって、小説はその動かした結果。
その動かす力がやがて歴史となり、世界観となっていく。
そんな話を。今回28破の学衆(生徒)さんがけっこう来てて。
次の物語講座に興味を持ってもらえれば嬉しいけど。


長めの休憩へ。初めての試みとして屋上でビアガーデン。
最後の1本余って誰か! となったときに
「じゃあ岡村さんが!」と声がかかり、ちゃっかりもらう。
その後、物語系の千夜千冊の一部を朗読して、
分かった人は挙手して本を当てるというゲームへ。
7問のうち3問当ててMVPとなってしまった。
編集学校のバッチとTシャツが賞品だった。
(当てたのは「雨月物語」「オデュッセイア」「嵐が丘
 その他は「ドン・キホーテ」「ロリータ」「AKIRA」など。
 鴻巣さんが「ドン・キホーテ」を当てた。
 僕は鴻巣さんにちなんで絶対「嵐が丘」があるとヤマを張っていた)


最後に校長を囲んでの座談会。
前日の28破:伝習座(師範代向けの講習会)を受けて
テーマはやはり「ワールドモデルは磨耗している」の話となった。
そして今年になって受けたふたつの衝撃、
円空フランシス・ベーコンについて。
インタビュアーのAさんの
「物語は体験しかない」
「物語の文節が短くなっている。
 そもそも現実というものがそうだ。運ぶものが変わっている」
という指摘が鋭かった。


鴻巣さんは正直、話に取りとめがなくて
大勢を前にして話すよりもそれこそワイン片手に
少人数のクローズドな場で伺うとよさそう。
豪徳寺で生まれ育って、『遊』を読んでいた)


今回のタイトルは
「翻訳は、ゆらぐ息であり、生であり、意味であり、蝶でもある」
シェリー樽での熟成を引き合いに出しつつ
ヴァルター・ベンヤミンの言葉「後熟」のことを語っていたのが印象に残った。
読書とは一人の人がそのときその本を読んでいる数時間だけのものではなく
一生余韻(面影)が続くものであるし、
過去の様々な読者の「読み」が積み重なっていくものであるということ。
単なる「寝かせる」ではなく、あくまで「積み重なって」いくことで熟する。
それが「後熟」ということ。


鴻巣さんは『嵐が丘』など
19世紀半ば〜20世紀初頭の古典を新訳することが多い。
これは「訳し直す」のではなく、「訳を重ねる」のだと。
鴻巣さんの訳した『嵐が丘』は
小さい頃に何度も読んだ『あしながおじさん』のジュディが、
嵐が丘』の好きだったジュディが重なっているという。
今の若い人だと、『ガラスの仮面』を重ねるかもしれない。


新訳は訳文がガラッと変わるわけではなく、
実際のところ八割方は読者の側で変えている。
ひとりの読者がかつての訳で読んで、
今、新しい訳で読み直すまでの間に熟成した時間が変えている。


ポストイット読書法の話にもなる。
1冊の本にたくさんの付箋を貼っている。
「息をするように貼る」
たくさんの色を使っていてどう区別しているのかと思っていたら
高低差で区別しているのだという。
低いとちょっと気になる程度。
最初読んでいるうちは、物語が始まったばかりは、低い、ということになる。
「低」ストーリー
「中」プロットの転換点
「高」テーマ
「横」引用したい箇所
このように分類するとのこと。