「浜田剛爾展 −京都大学西部講堂 1989-1993−Performances & Exhibition」

昨晩は編集学校でお世話になった方からお誘いを受けて、
「浜田剛爾展 −京都大学西部講堂 1989-1993−Performances & Exhibition」
を見に行った。場所は東陽町の「アートスペース .kiten」
https://sites.google.com/site/pactkiten/news/20131017%E3%80%9C%E3%80%8Cbangtiangangerzhan%E3%80%8Dkaicui


日本を代表する「パフォーマンスアート」の活動家のひとり、となるだろうか。
恥ずかしながら、この「浜田剛爾」という方のことは全く知らなかった。
http://hikuiyama.com/goji-hamada/J-html/index-j.html


青森県出身ということを知ってなおさら恥じた。
これは見に行かねばなるまい、と思った。
今は退いたが、「国際芸術センター青森」の館長でもあったという。
http://www.acac-aomori.jp/


今回の展示は40年に及ぶ活動のうち、
京都大学西部講堂にて1989年から1993年の間、
毎年公開されたパフォーマンスに焦点を当てたもの。
アトリエの白い壁にはそのときの手書きの演出ノートが貼り出されていた。
室内真ん中に置かれたテーブルには関連する本や創作ノートが置かれていた。
海外で活動していたからか、ノートには英語の記事の切抜きが多かった。


置かれていた1冊が京都大学西部講堂連絡協議会の会報『姦報』(80.8.9)
浅川マキの文章と、有名な「ポリス事件」について。
(警察がどうこうではなく。コミューン?的な雰囲気で自主的な運営のはずが、
 大手プロモーターが介入して The Police のライブが強行開催されたとされる)


もう1冊、アメリカでの個展なのか公演なのか
そのときに出版された厚めのパンフレットのようなもの。
英語で書かれていて、序文を少しだけ読んだ。
こんなことが書かれていた。
津軽について考えたり書いたりすると、奇妙な不安に駆られる」
津軽について語ることは自分について語ることである」


その他置かれていた本としてこの2冊が気になった。
Mojo West』木村英輝
『毒曜日のギャラリー』谷川晃一


反対側の壁にはパフォーマンスの模様を写したスライドが流れる。
この浜田剛爾という人の外見は一見芸術家っぽくなく
典型的な青森/津軽の顔だと思う。地味で、自己主張がない。
近所のその辺で買ったような眼鏡を掛けている。
隣の家のおっちゃんがこんな顔をして雪かきしていたなあ、というような。


後に1993年のパフォーマンスの記録映像を眺めていても
ダンサーというには体が絞り込まれてなくて
腹に少し贅肉がついていても気にしてない。
それがステージの様々なオブジェ/ガジェットに包まれて
東京芸大の彫刻家出身なので自ら製作するのだろう)
その何を選んで、手に取って、どこに運んで置くかという所作には
ただならぬ緊迫感があって。
西部講堂のステージに雨が降り、円形のプールには塩が満たされている。
浜田剛爾は祈り、飢餓を叶えるようにそのふたつの間を往復していた。


このステージも観客は10数人程度だったのではないかという。


今回のイベントは17日(木)から27日(日)まで開催。
展示とパフォーマンスや講演など。
僕が昨晩観たのはお世話になったおふたりの対談だった。
チラシから抜粋すると
「同時に開催されるイヴェントは、浜田剛爾と同時代を共有した
 及川廣信、鴻英良、ヒグマ春夫、武井よしみち、
 水嶋一江らのトークとイヴェント、それに次世代の川口隆夫、
 富士栄秀也、成田護、岩城里江子などのパフォーマーの参加を得て、
 また、宮田徹也による日本パフォーマンス史講義を加えて構成した」


昨晩集まった方たちも、何十年も前にコラボレーションしていたとか、
あのときのあの講演を見に行ったというゆかりの人たちが半分と
僕のように全く知らなかったという人たちが半分と。
主催者側からはこの世代の人たちはアーカイヴが残ってなくて全然知られていない、
今後もまた他の埋もれたアーティストの紹介を行っていきたいとのことだった。


西部講堂のステージというよりは薄汚れたジャンクな工房で
一人、身をよじらせる。わずか数メートルの半径の中をさすらう。
津軽に育った人は共通の原風景を抱えていると思う。
山間の、何もない雪原。遠くに木々や壊れかけた小屋が見えるだけの。
その白と黒だけの風景。
そこから生まれるものがあるものは例えば棟方志功の版画となり、
あるものは浜田剛爾のパフォーマンスアートとなる。
その不思議さ、不安な豊饒さのことが最近の僕は気にかかる。