東京を描く

東京について書くというとき、東京を東京として書くことは難しい。
それは僕のイメージとして思う、身体感覚で捉える東京は
あなたの思う・捉える東京とは異なるからである。
そんなとき、僕はあなたの東京観をねじ伏せるぐらいのことをしないといけない。
壮大にして緻密な構築か、よほど尖った感性を必要とする。
特に前者は歴史・地理・経済・文化を徹底して調べることが前提となる。
(別の次元では、言葉にした途端それは全て虚構になるという議論がある)


そこまでするつもりはない、というかそれ自体が目的とならない、
というときには東京を何かに見立てる、重ね合わせることになる。
東京を迷宮に、砂漠や砂の城に見立てる。
間に緩衝材として何かを一つ挟むことで
その方がまだ、僕とあなたとの間でイメージを共有しやすい。
要約と連想で情報量を圧縮する。


じゃあ砂漠とはなにか、僕とあなたと思い描くことは違うのではないか、
振り出しに戻るじゃないか、という話にもなるだろう。
しかし、東京とは砂漠であり、砂漠とは○○であり、○○は□□であり、
という連鎖を積み重ねていく内にその作品の世界観は少しずつ固まっていくものなのである。
物語を書くことにかぎらず、人は皆多かれ少なかれそういうイメージの連鎖でもって
その時々にこの世界というものを眺めていると言える。


そしてそれは物への置き換えに限らず、形容詞的な評価もありえる。
「この世界は悲惨なものである、なぜなら朝のニュースで見たイスラム国の…」
「この世界は案外美しい、なぜなら通勤途中に坂の上から富士山が見えて…」


一見無関係な物への置き換えではなく、シンボル・象徴に託すということもあり得る。
このとき、(特に東京人以外の)誰もが分かるものを最大公約数的に持ってくるか、
例)「東京とは東京タワーのことである」
その内側にいる人ならば直観的に分かるものを持ってくるかで作品のスタンスは変わってくる。
例)「東京とは国道246号線のことである」


なんにせよ、ちょっと意外なものをもちこむと読み手にとって面白いものとなる。
冒頭の一行。


「私にとって東京とは、よく晴れた冬の日の朝、
 二子玉川駅へと向かう坂道の途中で見えた富士山だった」


これだけで主人公の置かれた立ち位置が少し見えてくる。
メッセージもそこはかとなく込められている。


あとはそれがどういうことなのか、
他の登場人物の登場でどう変化するかを描くだけで短編が一つ完成するだろう。


以上、テクニカルなことを少し書いてみました。