サブスクな世の中

ここ数年で世の中はいろんなサービスがサブスクリプション型になった。
所有しない。月額料金を支払って必要な時に利用するだけ。
あるいは契約した一定量の物品が届いて消費する。
住居も飲食も髪を切るのもサブスク。
もはやサブスクにならないものはないのでは。
そのうち性風俗産業にも導入されるかもしれない。
 
もしかしたら数年もしないうちに西友やライフ、成城石井といった
スーパーの食品なんかもサブスクになるのかもしれない。
食べ放題、持ち帰り放題としたら転売されるか、フードロスにつながるだけなので
まあやっぱひと月3万払ったらその分購入できるとなるだろう。
プリペイドカード性と変わらない。
あるいは宅配で届くようにするか。
なんにせよ現金は不要となる。
 
そういうのを考えていくと、やがて全てのサービスがつながる日が来るのだろう。
あなたが今月使えるのは20万ポイントで、
そのうち住居に8万ポイントで選び放題住み放題、
食事の宅配サービスに5万ポイント、カフェの飲み放題に2万ポイント、
車のレンタル2回に1万ポイント、音楽の聴き邦題に1万ポイント、
衣服のレンタルに2万ポイントと割り振るようになる。
現金はいずれ消滅する。
結局何も変わらないか。お金の在り方が変わっただけで。
いや、その人が所有できるものはありふれた消費財だけとなるのか。
あるいは、そのものを利用できる権利そのもの。
 
僕みたいにいまだにCDを買い続けて、物が増え続けている人間からすると
そういう生活、そういう世界が住みやすいのかどうかよくわからない。
生まれたときからそういう暮らしをしていたら別だろうけど。
サブスクネイティブ。
壁一面の本棚に本を置いてたら、
せっかくの住居変え放題が利用しにくいじゃないですかという。
 
皆で所有となると、それって結局共産主義なんだっけ?
というのもなんかよくわからなくなってきた。
労働の関わり方次第なのか。働かざるもの食うべからず的な。
サブスクって資本主義と共産主義のいいとこどりです、
という言い方をした瞬間に
なんかつまらないものに感じてしまうのはなぜなんだろう。
 
物品であろうと無形のサービスであろうと、
そこには対価があって支払う必要があるという考え方をしている以上、
サブスクであろうと購入・所有であろうと大差ないような気がする。
もっと大きなゲームチェンジは
物品・サービスの価値を数値で表して代替可能、交換可能とする
というところをやめてしまうことではないか。
じゃあ、物々交換ならいいのかというとそんなことではなく。
 
もっと言うと、議論を何度も一気に飛び越えると、
究極の社会というものは個々の人格というものを不要とする社会なのか。