『アメリカン・コミュニティ』

本屋でたまたま見かけた『アメリカン・コミュニティ』という本を
図書館から借りて、今、半分ぐらい読んだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/410306031X/
著者は日本人で文化人類学を専攻している。
アメリカ滞在中に訪れた今のアメリカの象徴とも言うべき9つのコミュニティを
紹介するというのが本書の趣旨となる。


目次から抜き出す。
1 ブルダホフ(ニューヨーク州メープルリッジ)-しなやかな原理主義
2 ダドリー・ストリート(マサチューセッツ州サウス・ボストン)-コミュニティの再生力
3 ゲーテッド・コミュニティ(カリフォルニア州コト・デ・カザ)-資本・恐怖・セキュリティ
4 ミドルタウン(インディアナ州マンシー)-もっとも「典型的」なアメリ
5 ビッグスカイ・カントリー(モンタナ州ビッグ・ティンバー)-連帯する農牧業
6 メガチャーチ(アリゾナ州サプライズ)-草の根の宗教右派
7 セレブレーション(フロリダ州オーランド)-ディズニーが創った町
8 アメリカン・サモア(南太平洋)-海に浮かぶ、小さな「アメリカ」
9 刑務所の町(テキサス州ハンツビル)-「アメリカにおける死の首都」


アメリカの「多様性」とは
アメリカは○○である」という定義づけを常に拒む
”カウンター・ディスコース”(対抗言説)のことであると著者は主張する。
ジェンダー、人種、エスニシティ、階級などのモザイクとして描かれるアメリカ。
その構造、力学の現われが見えてくる。
特に「保守」とは何か、「身を護る」とは何か、「心の拠り所」は何かって
辺りがキーか。どの章もそれぞれのコミュニティにて
大統領選挙では共和党民主党どちらに投票してきたか、
どの宗教・宗派が多いか(カトリックなどの主流派と福音派などの根本派)
について基本的な調査を行っている。
確かに、多様な言説が重なり合ってうねっているアメリカの一端が垣間見える。


読んでて興味深かったのは
”セキュリティ”を理由に裕福層の住む地域をフェンスで囲って、
部外者の出入りは限られたゲートで厳重にチェックされるという
ゲーテッド・コミュニティ”が全米各地にどんどん増えているということ。
ドラッグや犯罪のはびこる貧困層どころか中間層すらシャットアウトして、
自らの身を護ろうとする。安全を金で買う。病院も消防署もある。
コミュニティの内側さえ快適であればそれでいい。
新自由主義の名のもと、80年代のレーガン政権は金持ち優遇政策を取り、
”小さな政府”は福祉関係の予算を大幅にカット。
その結果黒人やヒスパニックを中心に貧困層が拡大した、とされる。
ダウンタウンはスラム街となり、云々。格差がどんどん広がっていく。
どうやら異なる階層間での交流は望まれていない傾向が進んで行ってるようだ。


閉じられたコミュニティはやがて衰退するように思えるが、どうなのだろうか。
確かに人の行き来は日々それなりにあるだろう。
しかしそれは有機的なネットワーク足りえているか。
ネットワークには様々なレイヤーとその混交があって
潜在的にも顕在的にもなりえるが、
そこでは人として最も大事なところが分断・空洞化しているように思う。
どこかのレイヤーの静止は全体の硬直につながる。


国家ではなく、コミュニティの時代になると以前から言われている。
しかしそれは1人の人が1つのコミュニティに
永続的に属していることをあるべき姿としてはならない。
それはミニ国家に過ぎない。
あらゆる人が様々な大きさ・範囲の、様々な機能・目的のコミュニティに
常に複数出入りして、
それらのコミュニティが絶えず変化していく、生成して時には消滅もある。
そういうものでなければならない。
もしかしたらそれは3・4人の小さな集団かもしれないし、
3万・4万の大きな集団かもしれない。
インターネット上にそのような場が生まれるかと当初は期待されたが、失敗した。
フォーラムもチャットもSNSも全てが画一的な”サービス”となり、
当たり前のように資本主義の動向に呑み込まれていった。


などなど。いろんな人の受け売りですが。


コミュニティとコミューンの関係が気になる。
また今度。

アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所

アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所