ボルヘス『続審問』をこの1ヶ月ほど読んでいた。
ある意味、書評集。
濃密すぎて、1日1話というペースで。
ミシェル・フーコーが取り上げるなどして有名となった
中国の動物の分類はこの本の中にあった。
岩波文庫だと184ページ。「ジョン・ウィルキンズの分析言語」の章。
改めて僕が書き写すのもなんですが、初見の人もいると思うので引用します。
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これらの分類に見られる曖昧・重複・欠点は、フランツ・クーン博士が『善知の天
楼』なる中国の百科辞典について指摘したのと同じ特徴を思いおこさせる。この
遥か彼方の書物では、動物は次のように分類されているのである――
(a) 皇帝に帰属するもの
(b) 芳香を発するもの
(c) 調教されたもの
(d) 幼豚
(e) 人魚
(f) 架空のもの
(g) 野良犬
(h) この分類に含まれるもの
(i) 狂ったように震えているもの
(j) 無数のもの
(k) 駱駝の繊細な毛の絵筆で描かれたもの
(l) その他のもの
(m) 花瓶を割ったばかりのもの
(n) 遠くで見ると蠅に似ているもの ―――――――――――――――――――――――――――――― ※読みやすさのために、岡村が改段を入れて箇条書きにしています。
なお、訳注を見ても『善知の天楼』については一言未詳とあるだけで、
実在するものなのか、ボルヘスがどこで出会ったのかはわからない。
よくできた、フィクションなのかもしれない。
他で言及されているのは見たことないけど、次の事例もまた取り上げるに値する。
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ブリュッセル書誌学会も混沌に拍車をかける。宇宙は1000の項目に分類され
ているが、262番は教皇、282番はローマ・カトリック教会、263番は主の日
仏教・道教にそれぞれ照応するといった具合である。ここでは異質な内容も容
認されており、たとえば179番は次のようになっている。――「動物虐待、動物
保護、道徳的観点から見た決闘と自殺、諸種の悪徳と欠点、諸種の美徳
と美点」
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ちなみに、ボルヘスに寄れば
ジョン・ウィルキンズは英国王立協会初代の事務総長といった経歴の持ち主で、
普遍言語の創造を提案、宇宙を40のカテゴリーに分けて
aは動物、abは哺乳動物、aboは肉食動物、abojは猫科の動物、
abojeは猫、などと分類し、単語を創設していったのだという。
この試みがうまくいくわけがない、こういう言語を話したいとは思わない、
と現代に住む我々は思うものの、理路整然としていて
我々の情報の整理の仕方に近いというところにホッとする。
(図書館の図書の分類もこんなふうにブレイクダウンしていきますね)
このどんどんツリー構造で分類するという発想も近代以後のものなのだろう。
人類の生み出した優れた発明のひとつだと思う。
それのない時代は、ボルヘスの引く2つの例のようになんとも脈絡のないものだった。
分類した人の頭の中の何らかの文脈を外に出しただけのものだった。
僕が気になるのは、後者のブリュッセル書誌学会の方。
いつの時代のものなのか言及はないが、
公的機関の分類が相当偏っていてしかもおそらく実際に使われていたわけですよね。 この分類でどこかの図書室の本が並んでいた。
それが案外、適切な分量配置となっていたりして。
179番の動物虐待他も、その当時のブリュッセルという世界には
ちょうど30冊ぐらい本があった、とか。
このウィルキンズの分類もロジカルなようでいて、
ブレイクダウンが続くと区別がどんどん曖昧な、恣意的なものとなっていった。
想像が付くと思います。
さほど分類というものは難しい。
完全に客観的な分類って世の中に存在しないのかもしれない。
最後にもう一度、引用。
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ウィルキンズ、無名の(または非公認の)中国の百科辞典編纂者、ブリュッセ
ル書誌学会、それぞれに見られる恣意性についてわたしは述べた。明らかに、宇
宙の分類で恣意と憶測に基づかないものは一つとしてない。その理由はきわめ
て簡単で、われわれは宇宙が何であるかを知らないからである。
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