気が付かなきゃよかったことがある。
小説を読んでいるとき、例えばこんなやりとり。
「お名前を伺ってよろしいですか」
「岡村豊彦と言います」
「ありがとうございます。では、どちらにお住まいですか」
あるいは。
「彼の名前なんて言うの?」
「岡村豊彦、だって」
「ふーん、初めて聞いた」
さらっと略されることがよくあるけど、普通漢字の確認しますよね。
「お名前を伺ってよろしいですか」
「オカムラトヨヒコと言います」
「オカムラ…… トヨヒコさん。あの、トヨは?」
「豊かの豊です。ヒコは彦根の」
「ありがとうございます。では、どちらにお住まいですか」
僕のような名前では確認されないことも多いが、
「タカハシのタカはハシゴダカで、え? あ、髙島屋のタカで」とか
「サイトウのサイは難しい方で、その、よくある方の難しい方で」とか
そういうのが本当はあるはずが、省略される。
それってなんかかなり不自然ではないか。
なぜ、初めて聞いた名前の漢字を把握しているのか。
もちろんそういうのをちゃんとリアルに書くとめんどくさい。
割とどうでもいいのに、手間ばかりかかって情報量は乏しい。
だからその手続きを略すで全然いいんだけど、
いざ気付いてしまうとモヤモヤしてしまう。
小説を読むときに気になってしまう。
その登場人物は前後の文脈から察するに全知全能ではないのに、
大した能力もない、悩める、何も知らない普通の人なのに
なぜ相手の名前の漢字だけは瞬時に見抜く力があるのか。
なんかこういうところに小説の読み手と書き手の限界を感じる。
うまく処理する作家も多いんだろうけど。
全員あだ名とか。