誰のために何を祈る?

日本は今大変なことになっている。・・・ように思う。


昨日の夜、銀座から丸の内線に乗ったら虹のような旗を持った中年の男女が何人か立っていた。
「なんだろう?なんかやな感じだなあ」と思う。正直そう思った。
よく見ると「自衛隊即時撤退」といったような内容の
殴り書きのプラカードを持った人もいて、「そういうことか」と思う。
彼ら/彼女たちは「国会議事堂前」の駅で降りていった。
恐らく徹夜で座り込みや抗議集会を行うのだろう。
僕の目の前の席に座っていた身なりのいいおばさん2人は
その集団がぞろぞろと降りて行った後で初めて彼らのことに気付いたかのように、
「元気があるのねえ」なんて話題にしだした。こっそり笑いながら。


昨日の昼、会社の食堂で定食を食べながらニュースを見た。
捕らえられた3人の映像に対して解説者がコメントを加えている。
サバの味噌煮。食べ終えて仕事に戻る。コンピューターに向かう。打ち合わせをする。
気が付くと空が暗くなっている。
夜もまたいつものように会社の食堂で食べる。コロッケカレー。
後輩の女の子とテーブルに横に並んでテレビを見ながら食べる。
特集が組まれている。写真を撮られまくっている首相や外務大臣の姿。
後輩は「なんだか怖いことになってますね」と言う。
僕は「そうだなあ。怖いことなってるなあ」と言う。
食べ終えて食堂を出る。エレベーターに乗ってフロアに戻る。
自販機で缶コーヒーを買って仕事を再開させる。
僕の席の周りでは「このスケジュールだとうまくいかない」
「半年前に見積もったサイズが正しくなかった」などと騒がしく言い合いをしている。
仕事を切り上げて9時頃会社を出る。
部屋に帰ってきて音楽を聞きながら缶ビールを1本だけ飲んで寝た。


平日いつもそうしているように6時に起きて会社に向かう。
7時半に会社に着いていつも通り仕事を始める。土曜だというのに。
僕の分の仕事が遅れているのだから仕方がない。
昼になって会社の外に出て、浜松町駅の貿易センタービルの地下で昼食を食べる。
今日はこれから会社の人たちが集まって、
新婚の後輩の家に行って季節はずれの鍋をやることになっている。
僕はせっかくの機会だからと青森でしか手に入らないない
非売品のリンゴジュースの瓶を家から持ってきている。


昨日の夜、知り合いのところのサイトの掲示板を見ると
「3人のうちの1人石井君は知り合いでした」と始まり
「即時撤退を求めるFAXやメールを送ろう」と終わる書き込みや、
「4月11日はディズニーランド・ディズニーシーには行かないように」
というような書き込みを見つけた。
(後者のは9割方、流言飛語の類だと思う。恐らく日本中でこんなのが今出回っているのだろう)
yahoo のトピックスはずっとこの件がニュースのトップになっている。
今会社にいるのでテレビを見てないが、
2年前の9月11日のその次の日のように
ずっとこのことだけを報道しているのではないか。

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僕個人としては自衛隊は派遣するべきではなかったと思ってるし、撤退した方がいいのだと思う。
だけど「なぜ?」と聞かれたらうまく答えられない。
「や、とにかくそうなんじゃないの?」としか言えない。
深く考え出すと理由なんてよくわからない。


自衛隊を必要かどうかと聞かれてもうまく答えられない。
日によっては「いらないんじゃない?」と言うだろうし、
日によっては「災害のとき救助の役に立ってるみたいだしなあ」と言うだろう。


そもそも「あなたは平和をどこまで真剣に求めているか?」みたいなことを聞かれたら
「え・・・、そんなこと聞かれても」と困ってしまいそうだ。
生まれついてからずっと「平和」な国で育ってきたのだから、
「平和」という言葉の意味なんて考えたこともない。


「人を殺すことはいけないことですか?」と聞かれても
「今自分が知らない人に殺されても嫌だしなあ」という消極的なことがまず思い浮かび、
それを裏返したようなことを述べるのだろう。


日々悩むべきことはいっぱいある。
今開発しているプログラムについてこんな処理が必要なのではないかといったようなこと。
今計画しているテストに関してこういうケースも必要なのではないかということ。
くだらないといえばくだらない。
だけど僕はこの国の企業の1つに属していて、さらにその中の1つの部門の中にいて、
お客さんがいて、契約行為があって、やらなければならない仕事があって。
それを日々こなしていくことでお金をもらい、生活を成り立たしている。


正直言ってその仕事をプロジェクトが円滑に進んでいって何かしら完成したところで
世界の平和には何の関係もない。
戦争の後遺症で苦しんでいる人、あるいは飢えに苦しんでいる人、
そういう人たちの姿を食堂のテレビで見かけたところでその人たちに対しては何の利益ももたらさない。
時々そんなことを考えて空しくもなるが、
僕が今いるこの地点とテレビの向こうのどこかとを
不透明な尺度で計ってみようとしたところでおかしなことになるだけだ、
現実的な意味のある行為ではない。
いつだってそんな結論に達する。


東京のどこかで仕事をこなすことが結局のところ今の僕の現実の全てなのだから、
黙ってそこに戻っていくだけ。いいも悪いもない。
人によっては「おかしい」と思うし、人によってはそんなこと思いもしない。
そして僕はどっちでもない。何をどう思うべきなのか、正直よくわからない。


何かのイベントのキャッチフレーズで
「平和がいいに決まっている」というのがあった。
「そりゃそうだよなあ」と思う。
平和も戦争も実際のところよくわからない。
だからと言って「一切関係ない」と拒むのもなんか違う。
肩肘張らず、そのときそのときの状況を柔軟に考えてみたいものだ。

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拘束された3人に関しては
この時期にイラクに行くのだからそれなりの覚悟があってのことだと思うし、
「人1人の命の重さがどうこう」ってのはなんだか違うんじゃないかと思う。
(1人だった場合、10人だった場合、100人だった場合で政府の対応は変わるだろうか?)


もちろん、見殺しにしていいというわけではない。
小泉首相がどんな結論を下すのか少しばかり興味がある。
「結局アメリカのいいなりでした。いろんな利害関係があって」
そんなのが見え透いてしまうような底の浅い結末とならないことを期待する。


「テロには屈せず、毅然とした態度を取る」という姿勢を
首相は断固として崩そうとしないが、
今から1年後、3年後、10年後にこのときのことを振り返ったときに
どのような評価を下されることになるのだろう。
歴史にはどのように残されていくのだろう。

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信念を持って行動できる人ってのがうらやましい。
国会議事堂に向かった人たちであれ、拘束された3人であれ。
悔しいとすら思う。


僕は人のことをとやかく言ってるだけだし、これといって信念も持ってない。
臆病者であることを認識したとしても、
心の底では「でも別にいいでしょ?」みたいな感覚があってそれっきり。
そうするのが楽だから、いろんなことに背を向けようとする。
この体に染み付いてしまった「平穏」というものを絶対失いたくない。
自分本位な行動原理から抜け出すことができない。


僕は卑小な人間なのだろうか?