女の人はなぜ髪を茶色く染めるのか?

女の人はなぜ髪を茶色く染めるのか?
10代から30代にかけて、茶色くない人の方を探すのが難しい。
ここ10年の間のどこかで完全に比率が逆転した。
(とはいえ僕の個人的な感覚から言えば最近はまた黒が復権してきているように思われる)


みんなみんなそうしているから、そういうものなのだと思って。ということなのだろうか?
(女性の読む雑誌を読めば手がかりは得られるだろうか?)


それまで髪を染めるだなんて思いも寄らなかった人が週明け突然ふわっと栗毛色になっていて、
「どしたんですか?」と聞いたら
「美容室に行く度にいつもいつもどうですかと薦められるので、遂に屈してしまって・・・」


自分の顔の輪郭や個々のパーツや体全体との釣り合いを考えた場合
自分は髪の色を茶色くすべきなのだと思い至った、
という能動的な人はどれだけいるものなのだろう?


高校生か、大学生。
クラスでピアスをしていない方が少数派になった。
そろそろ私も開けようかな。
というものなのだろうか?


今はどうかわからないが、
僕が中学生だった頃はまだ髪を染めるってのは「不良」は「ヤンキー」だけが行う行為だった。
普通に暮らしている人ならば手を出すことのない身体改造であって(舌にピアスどころじゃない)
アウトローが群れ集う羊たちと自らを区別するための識別子のようなものだった。


なぜ日本はこんなことになったのか?


それ以前に、もう1度。
女の人はなぜ髪を茶色く染めるのか?
どういう意味があるのだろう?
意味−・・・記号論的な意味。シンボル/メッセージ。
でもそれを言ったら「なぜ会社員はネクタイを締めるんですか?」みたいなことになるのか。
結局のところ意味なんてものは特にない。
時間の流れの中で流動的に構成員の変わる特定の大きさの「社会」の中で
発端があって、経緯があって、歴史的な事実となる。場合によっては「規範」にもなる。
定着はしたものの、だけど特に意味はない。


いつの日か黒に戻る時代が来るんだろうな。
そしてその時代の人たちは21世紀初頭の日本人女性ばかりが映った写真を見て奇妙に思うのだろう。
現代の人たちが平安時代や江戸時代や明治時代の女性たちを描いた絵を見て
自分とは大きく違うと心の底で漠然とした違和感を感じ、
「これはこういうものなのだ」「単なる歴史的な事実なのだ」と受け入れる。
そんな感じで。


あるいは髪/体毛というものが忌み嫌われ、毎朝毎晩老若男女が剃刀で剃り上げるか
(っつうか未来の世界に剃刀なんてものが残ってるのだろうか?)
永久に脱毛してしまう、そんな時代がもしかしたら来るかもしれない。


話が反れてしまった。


もう1度繰り返す。
女の人はなぜ髪を茶色く染めるのか?


・・・まあいいや。


この質問が今現在の僕にとってどんな意味があるのかといえば特に意味はない。


そのこと自体に意味があるのかどうかということよりも、
そのことについて考えること/疑問を発することに意味があるのかどうか、ということ。


考えること、そこから発せられる疑問。
そういうものがまとわりつくことによって
行為や事象や事物に意味というものが与えられる。


だとしたら女性たちの髪の茶色さについて思いをめぐらせている僕という存在はいったいなんなのか?


今、頭の中がグルグルと回っていて
何を考えても行き着く先は女の人たちの髪の茶色さについて。
かなり不思議な状態。