ノストラダムスの大予言

そういえば最近「ノストラダムス」の名前を聞かないなーとふと思う。
しょうがないよな。「予言」が外れたんだから。
そのうち人々の記憶からも消え失せて、
「あーそんなブームもあったなあ」という扱いになるのだろう。
歴史から抹殺される。
(↑でも具体的に何の歴史だろう?自分で書いといてなんだが)

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一九九九年七の月
恐怖の大王が空から降ってくるだろう
アンゴルモアの大王を蘇らせるために
その前後の期間 マルスは幸福のもとに支配するだろう

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という例のアレである。僕は今でもよく覚えている。


昔々の僕は非常に暗い少年だったので
お小遣いで「月刊ムー」の別冊を買い漁っては
来るべき将来の予言に絶望的な気持ちになっていた。
「ああ、この世界は1999年7月に核戦争かなんかで終わってしまうのだ。
どうしてみんな平然としているのだろう?」
そのとき僕は25歳だ。
まだ10歳ぐらいの僕は大人になった自分の姿を想像できなかった。
「そのとき僕はどこで何をしているのだろう?
そうだ、最終戦争が起こって僕も兵隊になっているのだ」
それが今や29歳。
1999年7月を余裕シャクシャクで乗り越えて。
正直な話、ほんとアホらしい。


いろんな解釈があったんだよなあ。
7月ではなくて、8月だとか9月だとか。
(さっきどこかのサイトで検索したらSeptember は7番目の月なのだそうだ)
「999」とはとても大きな数を意味しているのであって、
特定の具体的な年を指しているのではないとか。
マルスとはもちろん火星のことであって、火星人が襲撃してくるのだとか。
ノストラダムスの生きていたよりもずっと昔、
蒙古人がはるばるヨーロッパまで襲撃してきたのがいつまでも恐れられていて、
アンゴルモアとはモンゴルのアナグラムであるとか。
最近の話だと、これは2001年9月11日のことを指しているのだそうだ。
西暦2000年問題こそが恐怖の大王であると真顔で論じている人もいた。
見掛け倒しだった2000年問題の顛末を思い出すとこれはかなり恥ずかしい。


五島勉の本って読んだことなかったんだけど、
さすがに21世紀になってからは新作が出ていないようだ。
この人については名前しか知らないんだけど
ノストラダムスでベストセラーになってそれで後々まで食ってる人ってことになるのかな。
予言を心の底から信じていたのか、それとも一発当てただけなのか。
そういう意味では僕としては出版界という荒野で砂金や油田を掘り当てた人という感じで。
ノストラダムス長者。(←儲かったかどうかは知らんが)
人生にもいろいろな形があるものだなあとシミジミした気持ちになる。なんだか微妙な人生。
人間がその人生でできることは限られていて
その力を注げるのがせいぜい1つしかないというとき、
その1つがノストラダムスだったというのはなかなか複雑なものである。


それにしても予言が外れて一番嬉しかったのは実は五島勉なのではないか?
ようやく重荷をおろせるってことで。
万が一予言が的中した時、まさか
「恐怖の大王が本当に空から降りてきた、ワーイ」ってことはいくらなんでもないだろう。


結局はノストラダムスみたいなアマチュアか自称プロの予言者ってのが
何百年か前のヨーロッパには腐るほどいて、
書いてることが難解で曖昧なノストラダムスが当たってる(というよりは「外れてない」)ように見えて、
代々好き者たちの間で奇書として再評価されていくうちに
他の予言者たちの書物が淘汰されていったのだろう。
(作家の阿刀田高が「トーナメント理論」と言っているやつですね)


最後に。
予言ってことで言うと新約聖書の最後にある「ヨハネの黙示録」が一番怖い。
それゆえに一番面白い。
反キリストが世の中に現れて、最終戦争(ハルマゲドン)に至るというやつ。


有名な第十三章の第一節。
「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。
これには十本の角と七つの頭があった。
それらの角には十の王冠があり、
頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。」


人類の歴史に照らし合わせてみると20世紀後半は第六章にあたるらしいのだが・・・。