エキゾチカ

いつか書こうと思う小説について。

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人間というものは2つに分けられる。
良くも悪くも自分自身が世界の中心であり「今」「ここ」を受け入れるしかない人と、
「ここではないどこか」を常に探し求める人と。
後者はさらに2つに分けられる。
実際に旅に出て移動と探求を繰り返す人と、今自分のいる場所を変えようとする人と。
彼女は3番目のタイプだった。


都心に近い割と高級なアパートの一室。
7階建ての3階。遠くには高層ビルが見える。
ある日彼女は帰宅途中で目にした小さな鉢植えを机の上に置く。
熱帯に思いを馳せる。
彼女は小さな頃から楽園というものに憧れていた。
南の国。ジャングル。動物たち。絵本の中で描かれるカラフルな風景。
木々の間にハンモックを吊って彼女は眠る。その傍らで小鳥たちが歌を歌っている。
そんな自分を、まだ小さかった頃の自分を、彼女は思い出す。
寒くて灰色のこの日本という国を抜け出して、
どこか南の楽園で「本当の自分」を見つけたい。


彼女はいつだって、一人きりだった。
仕事をしていても休日を過ごしていても。
そのときその場に誰かがいて言葉を交わして、笑いあってさえいても、
彼女は常に漠然とした孤独のようなものを感じていた。
それは体の中に染み込んでしまっていて拭い去ることはできなくなっていた。


少しずつ少しずつ彼女の部屋の中に植物が増えていく。
半ば無意識のうちに花屋へと足が向かい、何のためらいもなくふらっと新しい鉢植えを買う。
もともと荷物の少なかった彼女の部屋は人工的なジャングルのようになる。
クローゼットに着ていた服をしまうと彼女は裸になり、うっとりと植物を眺める。
手に取って優しくなでる。
部屋の中にいるとき彼女はそれ以外のことはしなくなる。食べることさえしない。
白昼夢にふける。いや、彼女だけの新しい「現実」の中へと入り込んでいる。
あるいは同じように植物で満ち溢れたユニットバスの中で何時間も水浴びをしているか。


夜が来て、朝になって。
時間が来ると彼女は服を着て部屋の外に出ていつも通り仕事へと向かう。
何事もなく淡々と日々の仕事をこなす。
周りの人とは普通に話し、普通に食事をする。
頭の中から「熱帯」は消え去っている。
分断された生活。
しかし少しずつ少しずつ彼女の生活は「熱帯」の方へと引きずり込まれていく。
例えばこんな会話を昼に同僚とする。
「ねえ、今度始まった月曜のドラマ見た?××と××が主演の」
「え?見てない。そんなのがあるの?」
「○○さん、最近テレビの話くいついてこなくなったよね。見なくなったの?なんで?」
「・・・どうしてかわかんない」


そしてある日ある種のしきい値を超える。均衡が崩れる。
彼女は部屋の中から一歩も出なくなる。
空腹になれば目の前にある木の実をもいで食べる。
それが現実のものなのか幻なのかはわからない。
少なくとも彼女にとってはどちらでも気にならない。
植物たちは繁殖し続ける。
それはまるで1つの生命体であるがごとく独自の呼吸を持ち、独自の脈動を伝える。
部屋の中をびっしりと埋め尽くす。いつのまにか地面は土になっている。
彼女という存在を優しく包み込む。
いつの日か彼女は言葉というものを忘れる。


ある朝気がつくと彼女は窓の向こうにも熱帯の風景が広がっていることを発見する。
東京(彼女はその名前の結びつきをいつしか失ってしまった)中がジャングルになっている。
そこにはとてつもない光景が広がっている。
何日か何ヶ月かぶりにドアを開けると目の前には緑の小道が伸びている。
彼女は裸のまま、そっと足を前に踏み出す。
彼女は部屋を後にして歩き続ける。
どこまでもどこまでも歩き続ける。


・・・
警察官が2人、管理人から鍵を借りてドアを開けた。
廊下では初老に差し掛かった女性が泣き崩れ、
同じく初老に差し掛かった男性がその肩を抱いている。


閉め切った部屋の中にはむっとする匂いが立ち込めている。
誰もいない。
枯れて茶色くなった植物の残骸が至るところに散らばっている。


白い手袋をした警察官がしなびて小さくなった背の高い植物を手に取ると
それはぼろぼろと崩れ落ちた。
窓の向こうには何の変哲もない東京の風景が広がっていた。