「フォッグ・オブ・ウォー」

3連休。本来ならば死ぬほど忙しくて
「1日でも休めたらいいなあ・・・」という状況となるはずだったのに
○○が××したため、なんだか急に暇になってしまった。
余裕ができたので映画をたくさん見ることにする。


まず今日見に行ったのは六本木のヴァージン・シネマにて
フォッグ・オブ・ウォー」と「ソウル・オブ・マン」のドキュメンタリー2本。
最近見た映画5本うち4本がここで見てることになる。
5本見れば1本ただになる提携型のクレジットカードがあるようで、
劇場内でも予告編でも盛んに宣伝している。
こういうことになるのなら作っておけばよかった。


昨日の夜は会社を辞める先輩の送別会があって、終電後も飲んでいた。
家に帰ってきて寝たのは3時。
眠り足りなくて軽い二日酔いの状態で見に行く。

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フォッグ・オブ・ウォー」について。


マクナマラ元米国防長官の告白」とサブタイトルがついている。
その在職期間であった1960年から1967年までを中心とした
アメリカと「戦争」の関係性について問いかけを行うもの。
キューバ危機をいかにして防いだか。
ベトナム北爆はいかにして始まったのか。
ケネディは何を考え、ケネディの後を継いだジョンソンは何を考えていたか。
現在のマクナマラ氏へのインタビューと当時の貴重な映像、
ケネディーやジョンソン大統領との会議の模様を録音したテープとで構成されている。
今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞。
(前年受賞したのが「ボウリング・フォー・コロンバイン」ですね)


ロバート・S・マクナマラは1916年生まれ。
1941年、当時最年少でハーバード大学経営学大学院助教授となる。
第2次大戦中は東京を初めとする大都市への爆撃、
広島・長崎への原爆投下を指揮したルメイ少将の下で状況と戦略の分析を行う。
大戦後、フォードに入社。
1960年にはフォード一族以外からは初めの社長となるものの
その5週間後ジョン・F・ケネディに請われ、国防長官に就任。
「神童」と呼ばれる。
その神童をもってしてもアメリカはベトナム戦争の泥沼へとズブズブとはまりこんでいき、
抜け出せなくなった。アメリカ史上最も長く続いた戦争の傷跡はいまだに癒えていない。


反戦を声高に訴えかけるのではなく、
国防長官という立場から、アメリカの歴史はいかにして紡がれていったのかを淡々と追う。
当時のアメリカだけでなく今現在であってっも、
マクナマラ氏はベトナム戦争当時のアメリカの舵取りをした人間の1人として
あれこれ取りざたされるのだそうだ。
ベトナム戦争の代名詞。
映画はマクナマラ氏を糾弾することはなく、
最後の最後まで回想と事実として残された映像と音声とを積み上げていく。
マクナマラ氏も、あのときはこうだった、このときはこうだったと出来事だけを語っていく。
そのことについて自分自身はどう思うのか、どう思ったのかは語ろうとしない。
あの戦争は間違いだったのかどうか、という質問にも
あくまで元国防長官という立場からしか何も話そうとしない。
1人の人間として浮かび上がってくるのは、
国家や大統領というものに対するあくなき忠誠心のみ。
ケネディの死について語るとき涙を流しそうになり、
意見の食い違いから辞任へと追い込まれたのに、
そのジョンソン大統領から勲章をもらったときは嬉しかったと語る)


あらゆる物事が遅かれ早かれ歴史というものへと吸収されていく。
ジグソーパズルの一欠けらのような形になって嵌め込まれていく。
ケネディ大統領であろうと、そういう1ピースでしかない。
特徴的な形状とある程度の大きさを持ったとしても。
マクナマラ元国防長官であってもそれは一緒。
その枠組みから逃れることはできない。
人によってはそれを忌み嫌い、逃れようとする。
その当時は逃れられたと思っていたとしても
いつの日かしっかりと連れ戻される。
その一方で、枠組みの中で1ピースとなることこそが
国家に対してだけではなく、
人生や自分が今生きている周囲の世界といったものに対する
忠誠の証だとして信じて疑わない人たちが大勢いた。
そういう人たちのほうがはるかに多かった。


歴史というものがいかにして作られていくものなのか、
この映画を見てよくわかった。
少なくとも監督であるエロール・モリスの歴史観はわかった。
そして僕はその歴史観は間違っていないと思う。


華氏911」よりはよほど見るに値する映画。
こういうドキュメンタリー作品がたくさん作られて、
たくさん観ることができるようになることを望む。
映画を見てあれこれ考えるきっかけになるというのはとてもいいことだ。

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六本木ヒルズ近くの「勝丸」でラーメンを食べる。
他の店舗では食べたことないけど、ここのラーメンはうまいね。