心の鳴らし方

弱っている。
疲れきって落ち込んでいる。


話がしたいと思う。
誰かと話がしたいと思う。
「話す」ということなら常日頃いろんな人と連絡、交渉、相談、雑談、
たくさんの言葉を交換し合っている。
当り障りのないことを。仕事の上では重要なことを。
僕の中の上っ面を言葉の群が右から左に絶えず駆け抜けていく。
心の入り口が荒れ果てる。
そんなとき心の内側から外側へ、外側から内側へ、
何か大事なものを行き来させることは難しくなってくる。
疲れきって家に帰って眠るだけの毎日になる。


話がしたいと思う。
誰かと話がしたいと思う。
今このときほど恋人というものを欲しいと思ったことはない。
愚痴を聞いてくれる人が欲しいのではない。
ただ単に「今日こういうことがあったよ」と言いたいだけ。
その日どこかで見つけて、心の奥底に仕舞われてしまったものを
そっと導き出したいだけ。
それは絶対、聞いてくれる人、
聞いたことを元に自分で思ったことを言ってくれる人がいないことには
何も始まらない。


僕に恋人ができたならば
まあ月並みなんだけど映画を見に行きたいと思う。
隣の席には僕の好きな人が座っていて、僕は映画を見ている間に眠ってしまう。
そして突付いて起こされる。
それってものすごく、幸福なことなのだと思う。


何をするにも1人きりなのは確かに気楽だ。
人と話さずに自分の殻に閉じこもって時間を過ごしていると傷つく機会が減る。
だけどその分人として得るものも少ない。
それを補完しようとして手っ取り早く、本を読み、映画を見て、音楽を聞く。
それはそれで楽しいが、時として
じゃあそれを見て何を思ったのか?という問いかけがなされないで終わる。
ああ面白かったな、で終わり。
これでいいのだろうか?と時々ふっと思い出して自分に対して問いかけるんだけど
そんな時の自分は考えるまでもなく
「こうしかならないんだろうな」とあっさりと諦めてしまっている。


心の鳴らし方。
心は「鳴らす」ものだと誰かが言っていた。
鳴らして、共鳴させるものだと。
僕はそのやり方を忘れてしまっている。
(もしかしたら、多くの人たちが忘れてしまっているのかもしれない)


人は孤独な生き物なのだと僕は思う。
それは端的に言って、生まれてくる時には1人きりで、死ぬ時にも1人きりだからだ。
その体の中に、心の中にいるのは自分1人だからだ。
そして、それゆえに自分で自分というものをどうにかしなきゃならないからだ。
寂しい生き物だ。


だからこそ、鳴らさなきゃいけないのに、
言葉や、言葉にならないいろんなものがあるはずなのに、
いつだってぎこちなくて鳴らすことができない。
もしかしたらいつか誰かに伝わるかもしれない、
そんなことを信じて生きていくだけ。


話がしたいと思う。
誰かと話がしたいと思う。