With The Lights Out

Nirvanaのボックスセット「With The Lights Out」が発売される。
ライブやデモなど未発表の音源ばかりのとんでもないシロモノ。
買ったけどまだ聞いてない。聞く日が来るのが今とても楽しみ。
CD3枚組。なんかしながら聞き流すわけには行かず、
心の中で正座しながら、姿勢を正しながら聞くことになるので
それなりに時間と心身の余裕を必要とする。


思いっきりNirvana世代。「Nevermind」が出たのが高校2年。青春ど真ん中。
発売当初は知らなかったけど、話題になりだした頃確かお年玉で購入。
雪に閉じ込められた青森の冬、ずっと聞いてたなあ。
My Bloody ValentineLoveless」や
Pixies「Trompe le Monde」と合わせて繰り返し聞いてた。


93年、進学のために上京した頃も世間は Nirvana 一色だったと思う。
というかグランジ
なんかよく分かってない僕もネルシャツを着るのがかっこいいのだと思わされていた。
Beckが登場し、Pavementが話題になり、
イギリスではブリット・ポップのバブルが咲き乱れ、なんだかとてもいい時代だった。
ブリット・ポップは日本の片田舎に住んでいた僕からすれば
マンチェスターのあの辺の流れと地続きで、
大英帝国の勢いは永遠に終わることのないものに感じられた。


話は Nirvana に戻る。
94年にカート・こバーンが突然の自殺。猟銃を口に咥えて引き金を引いた。
あれは夏の頃だったろうか、映画サークルの先輩たちと車に乗っていると
誰かが「カート・コバーンが死んだよ」と言った。
「おいおい」とか「マジかよ?」とか「なんだよ、それ?」とか、狭い車の中で僕らは騒いだ。
その日誰の何の撮影のためにどこに向かったのかは覚えていない。
だけどその前の日、アメリカのどこかでカート・コバーンが死んだという出来事が
世界の裏側でごく普通に生きていた僕らにも伝わったということの記憶が、
確かな感触として残っている。


Nevermind」はよくできたアルバムであるように思う。
今も昔もそれは変わりない。
今でも折に触れて聞くことがある。1人きりの部屋の中で。
「In Utero」はほとんど聞かない。
邪悪で、やり場のない憎悪に満ちていて、あまりにも無防備で痛々しくて、
どうにもやりきれない気持ちに襲われて途方にくれてしまうからだ。
どこの誰が過去の自分のヒット曲に合わせて「Rape Me」なんて歌う(叫ぶ)だろうか。
単純に優れたロック・アルバムを聞きたいのならば「Bleach」の方がいい。


Nevermind」はかの有名な「Smells Like Teen Spirit」に始まり、
一聴しただけでも嫌でも耳に残るキャッチーな曲が続く。
だけど全然「ポップ」ではない。
「ポップ」とは言わせない困惑に満ちた何かがどの曲にも渦巻いている。
それはありきたりな若者の焦燥感ではなく、アンチ商業主義でもなく。
何かひどく根源的なもの。
見てはいけないし、聞いてもいけないもの。
一言で言ってしまうならば
「生まれついた時から病むように条件付けられた、魂」ということなのだと思う。
僕らはそこに自分たちのありうべき、あるいは、あってはならない、姿を見た。
堕ちた天使という存在に僕らはいつだって憧れる。


Smells Like Teen Spirit」はあれだけ売れたシングルなのに、
最後の部分では「a denial」(否定)というフレーズが闇雲に繰り返される。
「モスキート、アルビノ」と特に意味のない単語が叫ばれた後で。
理由はわからないけど、それが当時の僕にはひどくリアルだった。
今でも僕の中にはそれがリアルなものとして凍りついている。


あの切り刻むようなギターのイントロ、
「With The Lights Out」で始まるコーラス。
やり場のない感情の暴発。
時代の真ん中を射抜いて、今でもこの不完全な世界には
その不揃いな形をした穴が生々しく傷跡のように開いている。