マラカス

Mars Volta の新作の初回限定盤にはDVDがついていて(この手のもの最近非常に多いですね)、
中身はというとライヴの映像。これがまたすごくて、
「こんな音楽主義的バンドがまだこの世にいたのか!?」と感心させられるシロモノ。
ロック/音楽の枠組みを広げようと
目の前の巨大な何かに対してナイフを突き刺してその傷口を切り開こうとする、
そんな衝動に貫かれつつもそれはまた刹那的なものでしかないという儚さも漂わせた、そんなバンド。
この前出た2枚目は今年を代表する1枚と言っていいでしょう。


そのライヴの中でヴォーカルのセドリックは薄暗い照明の下、マラカスを高く掲げていた。
もちろん、安易なラテン・ムードの演出のためなどではなく、お茶目でもない。
その魂を振って鳴らすものとして、マラカスを手にしていた。


フロントの人間がマラカスを持っていてその姿が様になっているロックバンドは
たいがい音楽的に優れているように思う。
今具体的な例を思いつかないが、分かりやすい例ではハッピー・マンデーズ
イギリス、80年代末から90年代初期にかけてのマンチェスターを代表するバンドの1つ。
僕はその映像を見たことはないが、このバンドにはやたらハイテンションな「ベズ」というダンサーがいたという。
楽器を演奏するわけではなくステージではマラカスを持つ程度だったというが、
この人抜きでは当時ハッピー・マンデーズを語れなかった。
ギターその他の楽器のメンバーの名前はたぶん今となっては誰も思い出せないが、
ヴォーカルのショーン・ライダーとベズのことは誰もが覚えていると思う。
凡庸なバンドならば楽器を演奏しない人間をメンバーには加えたりはしない。
音楽的にも精神的にも余裕がないからだ。
何もしないがその存在感はでかい、そういう人間を受け入れるには
それなりに音楽的にしっかりしていないといけない。つまりはバンド側の器の大きさ、懐の深さ。
(でないか、あるいは演奏できる側の人間が余りにも素人で演奏できない人間と大差ない場合だと成り立つ)


今、歌わない/演奏しないフロントマンがマラカスを持っている例を挙げたが、
歌う/演奏するフロントマンがマラカスを持つ例ももちろんある。たぶんこっちの方が多い。
そしてまた申し訳ないことに分かりやすい例を思いつかないのだが、
なんか今ふと、フリッパーズ・ギターの2人のうちのどちらかが
ステージでマラカスを持っていた写真のことを思い出した。
あれだけ批評性の高いバンドのことなのだから
それこそラテン・フレーヴァーの導入のためなわけがない。
その時その空間にて「何か」を語るものとしてその右手にはマラカスが必要だったのだ。
安直な言い方をさせてもらえれば何らかの「記号」「象徴」としてマラカスが利用されていた。
マラカスという楽器がこれまでに使用されてきた歴史的・地理的背景があって
それが恐らくどこかの時代にて特定のシニカルなマンガ的イメージが定着した。
メキシコ人は必ずあの大きな帽子をかぶってその手にはマラカスを持っているというような。
そのイメージを裏返す、逆手に取ることで
彼等はマラカスという楽器に別の価値を与えようとした、見出したというわけだ。
(その新たな価値は何もフリッパーズ・ギターの2人が発見したわけではなく
 マンガ的イメージの裏には常に隠された別のイメージというものが常にあったわけです。
 昼の子供のためのイメージが上記マンガ的なものだとしたら、
 夜の大人のためのイメージとでも呼ぶべきものが何事にもあるはずであって)


そんなわけで、かなり話をはしょるが
マラカスという楽器はなかなか難しいものなのである。
素人が持ってもなかなか様にならない。どうしても照れてしまう。
たぶんあなたも他の人がトランペットやギターを手にしている演奏会にて
自分の役割がマラカスだったりしたら照れくさい思いをして困ってしまうことになるでしょう。
それなりの必然性をもってマラカスを手にステージの上に立つには
勇気か音楽的経験か確信犯的な意図がどうしても必要なのである。


同じような位置付けの楽器にタンバリンというものがある。
これはこれでまた難しい。
(タンバリン担当と言って真っ先に思い出すのは元スパイダースの
 というか堺正章の相方といった方が通りがよさそうな井上順。
 現代のバンド構成しか頭にない若い人ならば
 「えー?タンバリンだけの人?ありえなーい」ということになるだろう)


チベタン・フリーダムにソロで出演した忌野清志郎がタンバリンの人と2人だけで演奏していた。
このタンバリンの人はフジロックでの忌野清志郎矢野顕子のユニットでも
3人目のメンバーとして演奏していた。
この人ぐらいうまくなるとタンバリン専門というのもありになる。
シャラシャラシャラという鳴らし方も機械のように正確になる。


でもまあ普通タンバリンを持つとしたらやはり何かしらの「イメージ」のためとなる。


誰だったか忘れたが洋楽のミュージシャンのライヴを見ていたら、
コーラス担当の女性がタンバリンを持っていた。
なのにその人の腕は微動だにせず、そのタンバリンは何の音も発しなかった。
(というかマイクが拾わなかった)
その立ち姿は凛としていて非常にかっこよかった。
タンバリンの意外な使い方としてこういうのもある。