the end of the world / world's end

世界の終わりについて書きたくなった。
世界の終わり、世界の果て。


いつの頃からかわからないが、
僕はこの2つの概念にずっと魅了され続けてきた。
大学生の頃だっただろうか、それとも高校の時からか。


突き詰めると僕の書きたいものはこの2つでしかないのだと思う。


孤独。絶対的な孤独。
見方を変えるならばそういうことなのかもしれない。
誰もいない場所に、誰もいなくなった場所に、1人でポツンといること。
その光景。


耳を覆うような静けさ。
朝も昼も夜も無い。
そこは常に鈍い色の力の無い光で満たされている。
そして一日を通してその光に変化は無い。
時折、緩やかな風が吹いている。
そこはプラスチックとアルミニウムの混合体のような無機的な平原なのかもしれないし、
人気の無い砂浜なのかもしれない。
地平線の果てまで続く草原。
地平線の果てまで埋め尽くされた高層ビルの群。
僕は1人きりでただ、歩き続けるより他にない。
歩き続けて、疲れきって、ポケットに両手を突っ込んで、佇む。


この世界はある日突然終わってしまえばいいのだと思う。
生きている人々には何の苦しみも無く、プツッと途切れてしまうような。
その次の瞬間から何もかもが消えてなくなって、
無/虚無だけが広がっているというような。
(そもそも「無」というものに広がりはあるのだろうか?)


それでいいのだと思う。


そして。
今、自分のいる場所は常に、「世界の果て」なのだということ。
逆に自分のいる場所こそが常に「世界の中心」だと考えるような人もいるが、
そういう考えは僕に言わしてみればゾッとする。寒気がする。
疎外感?
ただ単にそういうことなのかもしれない。


あるいは、違和感。
この世界に対して本質的に抱く違和感。
誰もがそれを意識的に、無意識的に、感じているはずだ。
感じなければ、嘘だ。
正直な生き物として、誰だってそいつに対しては目を背けたくなる。
そしてそれゆえに
そいつに対していかに対峙したか、
しっかりと目を見開いてそこに何を見たか、
自分という存在の中に何を見出したかで
その人の価値が決まる。
僕はそう思っている。
違和感と、そこから派生的に生み出される孤独と。


孤独という名前の薄暗い何かが
古びた体にツタのように絡み合って覆い尽くそうとする。
僕らはいつだって、寄る辺ない気持ちで1人きり生きている。
この余りにも巨大な「世界」というものは
僕らを優しく、あるいは優しさの裏返しとして無関心を装いながら
そっと迎え入れているようなフリをしている。
そして僕らは喜んでそれに、そいつに、騙されようとする。


そんな世界は、なくなってしまえばいい。
いっそのこと僕1人だけになってしまって、
敗北者の烙印を押されて、罪人のように永遠に彷徨っていたい。
そういうこと。


そしてこの世界が終わることはない。
僕らは中途半端に生き続けて、
ある日突然中途半端に死んでしまう。