夏の少女

このところ帰りが遅く、終電や終電の1つ・2つ前で帰る日々が続いている。
荻窪駅に着く頃には午前0時を余裕で過ぎている。
アパートまでの道のりを1人とぼとぼと歩く。


明かりの差さない暗がりの中でベタッと腰を下ろしてメールを打っている、
ある女の子の姿をいつも見かける。
いつからか気づいたのかはよく覚えていない。
場所はいつも違う。
見つけると「ああ、今日もいるな」と思う。
携帯電話の小さなモニターが暗闇の中で白くて鈍い光を放っている。
年は15か16のようだ。黒い髪の毛が肩の先まですらっと長く伸びている。
夏休みに入ったから毎晩意味も無く出歩いているというところか。
そして誰にも何も言われない。
どういう家庭環境にあって、そのどこに問題があるのか。
知らない他人の境遇を想像しだすとキリが無い。


メールは誰に打っているのだろう?
友達だろうか。だったらどんな友達だろう?
彼氏だろうか。だったらなんで会いに行かないのだろう?
待っているのだろうか。だったら何を待っているのだろう?
何が楽しいのか、何を求めているのか。
何も楽しくないのか、何も求めてないのか。


なにかの弾みで彼女と言葉を交わすことになったとしても
何の接点も無いぎこちない会話になってしまうのだろう。
住んでいる世界が違う。
たまたま同じ時代に同じ地域に住んでいたというだけ。
時代は同じであっても、世代は違う。
考えていることの全てが違う。

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東京都杉並区荻窪駅周辺だけではなく、
夏休みの今、日本全国にこういう女の子たちがいるのだろう。
1人ぽつんと街の暗がりに佇んでいて
その瞬間の状況を、一夏という時間を、変えてくれる何かを待っている。
何も起こらず無為な瞬間が過ぎていってそしてまた夜が明ける。
同じ境遇の同性か異性の友人と会って終わる。
メールのやり取りをして、何かを食べたり飲んだりして、
歩いて、自転車に乗って、誰かの運転する車や原付の後ろに乗って、
やられて、やって、そして何かを覚えて、失って。


「若さを浪費している」というような老人めいた感慨を抱いたりはしない。
ただ、そういうものなのだ、と僕は思う。
この国では、夏という季節は、伝統的にそういうことになっている。
そういう幻想が抱かれている。
そしてそれはたぶん何十年、何百年経とうと変わらないのだと思う。

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ええ、そうですよ、ええ。
僕はそういうのとは全く無縁な高校時代を過ごしてましたよ。
夏休みは家で本読んでるか音楽聞いてるか永遠に受験勉強してましたよ。
何も無かったですよ。夏は暑かっただけですよ。
でも青森の夏は東京よりは涼しかったですよ。


なーんてひがんでみたりする。
実はかなりうらやましい。