「Takeshi's」

昨日の鑑賞会の後半。
北野武の最新作「Takeshi's」
Always 三丁目の夕日」とは違って見た後誰も言わない。


マジで困ってしまう。こういうの。
「この監督は何がやりたかったのでしょうか?」
「この作品を通して何がいいたかったのでしょうか?」
ってのが映画を語るときの常套手段なわけだけど、
真正面にそういうこと考えたり議論したりすると、アホっぽいことになりそうだ。


女性に聞きたい。
彼氏と見に来たとかではなくて2・3人で見に来て
その後お茶かご飯か飲むかした女性だけのグループで
その後何を話題としたのか、心の底から知りたい。
「たけし、これでもかと撃ちまくってたね。長かったよね」
「あれがやりたかったんだろうな。じゃ、仕方ないよね」
って話?
そんなわけないよな。だったら僕らが話したのと一緒だから。
なんだろう。何を話題にするだろう?
下品だとかそういうことをストレートに語るのだろうか。
DJがレコードを擦ってるのがそのまま女性の女性の乳首に変わって
擦られ続けるって場面があるんだけど、
「ハハハ」と笑える女の人ってどれだけいるだろう?
「何がなんだかわからないよね」「うん、私も分からなかった」
それで全てが片付いて、その後何も語られなくなるのだろうか?


だめだよ、これ。
夢オチなら「3−4x10月」の方がいいし、
ヤクザものなら「ソナチネ」の方がいい。
過去でやったことをそのまま思い出させて比較させてしまう時点で何の前進もない。
「ああ、最近、”評価される”作品ばかりだったので
 これがやりたかったんだろうなー」「そういう気分だったんだろうなー」
というのはよくわかる。
(自分が曲がりになりにも映画を何本も作ってきただけになおさらよくわかる)
映画を通じて本当にやりたかったことってこういうことなんだろうな。
ただ単に自分にとって笑えるシチュエーションとセリフのやりとり、
あと、銃でわけもなくやたらめったら撃ちまくる。
でもそれをそのままやったらいかんでしょう。
それをぐっと堪えて我慢したから
HANA-BI」とか「座頭市」とか大人の作品として評価されたんでしょう。
あちゃーって感じです。
無しにしたい。この作品。


何十年後かに日本映画史の講義が行われるとき、格好のテキストとなるんだろうな。
謎解きの一環としてこんな便利なものはない。
監督自身が答えを書いてくれてるんだから。


京野ことみが脱ぐわ喘ぐわ腰は振るわ意外と乳首が黒いわで見所はそこかな。
(「ジョゼと虎と魚たち」の池脇千鶴なみに衝撃的に黒い乳首だった)
何で今更こんなことしたんだろう。
ショムニ」の頃からしたら絶対考えられないのに。
や、でも全般的にいい演技して、いい存在感を放っていた。器用なんだな。
沖縄の海辺でサッカーボールで新体操をするっていうこの映画唯一の
名場面があって、これも京野ことみ
(遠くにぼんやり映ってるだけだからスタンドインなんだろうけど)
寺島進大杉漣もよかった。肩の力抜けまくってて。
「そういう」映画だから、そういう演技になったんだろうな。


全般的に、これは誰かの見た「幻想」なのだ
ということが物事の全ての基本となっている。
それが序盤のうちは
しょうもないことやってて噴出しちゃう場面に直結してて
面白いと言えば面白い。
それがどんどんシュールな方向に向かっていく。笑うに笑えない。
むしろ不安感の方を煽る。どこに連れてかれんだろうと。
そういう意味でなんだかフェリーニっぽかった。
でも、それが「まだ」似合ってない。


それなりに秀逸な場面ってのはたくさんある。
北野映画のコアなファンならば見て損はないだろう。

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なんて否定的に書いたものの、
したり顔で「北野武は終わった」とは語りたくない。
次は、次から3本ぐらいは、またいつものクールな路線に戻ると思う。


むしろ、時々こういう作品を生み出さずにはいられないところに
表現者としての正直さを僕は感じる。