滋賀の幼稚園で園児2人が殺傷された事件。
犯行に及んだのは同じ幼稚園に娘を通わせていた母親だというのが世間に衝撃を与えた。
娘が他の園児となじめない、母親もまた他の母親となじめない、
しかも言葉の壁もあって気軽に周りと相談もできない。
心に壁を作って(作られて)、追い詰められての突発的な殺人。
「自分の娘がほかの子どもとなじめないのは、周りの子どもが悪いからだ」
「このままでは、娘がだめになってしまう。だから、子どもを殺した」
(京都新聞のサイトより引用。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006021900071&genre=C1&area=S00)
という自供を読むとほんとやりきれない。
刺身包丁で2人の幼い命を奪ったという事実は事実だし、どうすることもできない。
月並みな感想だけど、こういうことが2度と起きることのないような社会になってほしい。
人からあれこれ聞くにつけて子育てというものはかなり大変なものであるし、
それが言葉が皮膚感覚で伝わらない異国ともなるとなおさら大変だ。
裕福な人たちが異国に移り住んでそこで子育てというのは昔からあった。
そこにはそういう人たちのネットワークが形成され、交流が図られる。
仕事の都合上同国人が全くいない地域に移り住んだ場合、
そこの人々に受け入れてもらうようにする。
外国人が日本で暮らすのも一緒。
一昔前はそういうことができる人は限られていたし、
豊かな経済力があれば異国で生活を築くという行為はどうにかなった。
でもそれはあくまで、「一昔前」の話。
グローバル化ってこういうこと?
これからは様々な社会階層の人たちが仕事を求めてあちこちの国に移り住み、
その国で生活しようとする。
そこには摩擦が生じやすいので今回のような事件が発生しやすくなる。
(そういえば日系ペルー人が広島の小学1年生女児を殺害した事件はその後どうなったのだろう?)
これは日本という国がある種閉鎖的だからなのか?
そういう構造を持っているからなのか?
他の国の人が他の国に移り住んだとき、同じような事件が発生しているのか?
例えばアメリカにヒスパニック系の移民が急増したときに
それと同時にあれこれの事件や問題が急増したとされる。
これも同じことなのか。規模が違うだけなのか。
日本はまだ移り住んでくる人、発生する事件がまだまだ少ないから
ニュースとして取り上げられるんだけど、
もしかしたらグローバル化著しいアメリカでは悲惨な事件は日常茶飯事?
日本だからこそ起きやすい事件なんだけど、
日本だからこそまだその数は少ないし、少ないままでいられるのではないかって結論になるのか。
移民・難民を寛容に受け入れる雰囲気はこれから先もあんまりなさそうだし。
片やインターネットが発展し
地球上のありとあらゆる場所で発せられる意見がリンクするようになり
コミュニケーションの壁は取り払われつつあると喧伝されているが、
というか実際そういう世の中だが、
リアルの世界では全く別種のグローバリゼーションが進行しているようだ。
どちらにせよ「穏やかな地域社会のルール」とでも呼ぶべきものが
機能しなくなりつつある。
というか生活を貫くメインのルールではならなくなりつつある。
こういう世の中になったとき、
意識的に小さなコミュニティで閉じていくことによって
身を守ろうとしていく人も出てくるだろうし、
コミュニティという概念を皮膚感覚で必要としなくなる人も出てくるだろう。
僕が小さなときと比べて、いろんなことが過渡期にあるような気がする。
これって、21世紀の始まり、最初の10年間という時代のせいでもあるように思う。