父の墓参り

23日は父の命日だったことを思い出す。
毎年この時期の土日、自転車に乗って墓参りに行く。
青梅街道を西に進んで祖母の実家のあった保谷へ。
その後祖母と父の墓のある大泉学園へ。
帰りに石神井公園に寄っていく。
タイミングが合えば、桜を見ることができる。
年に1度のこのコースが僕の中で定着した。
距離にして15kmぐらいか。


8時に起きて朝食後、10時に出発。
今日は曇っていたものの暖かかったので、ネルシャツだけ。
ダウンジャケットもジャンパーも不要。
「春になったなあ」と思う。


途中善福寺公園に寄っていく。
金曜の夜はまだ咲いていなかった桜の木も今日になっていくつか咲いていた。
来週になったらここも花見客で賑わうようになるのだろうか?
まだまだ雰囲気的に単なる「日曜の公園」っぽい。人はまばら。
たこ焼き屋が一軒と、屋台のおでんが一軒出ていた。


自転車をひたすら漕いで保谷へ。
祖母の家のあったところは完全な更地。周りの家もなくなった。
最後に一軒だけ残っている。
道路となる範囲から外れているのか、それとも最後まで粘っているのか。
引っ越した人たちは、隣の家の人たちだとか、みんなどうしているだろう?
一軒新築だけど安っぽい家があって
「好評分譲中」みたいなノボリが立っていたんだけど、
こんなところで家買う人なんているんだろうか?
目の前が更地になってて、大きな道路になることが決まってるっていうのに。


保谷駅の北口に津軽の郷土料理の店があった。
津軽三味線も聞けるようだ。
気になるんだけど、スナックとラーメン屋を足したような雰囲気。
わざわざ保谷まで誰かと来ることもないし、今後も縁はないだろうな・・・


大泉学園。この辺から迷いだす。いつも同じところで迷う。
今年は「こっちでよかったっけ?」「曲がんなくてよかったかな?」と
あれこれ悩んだものの、割とすんなりいけた。
墓参り。寺の境内に自転車を停めて、墓地へ。
墓に水をかけて、お彼岸の日に(恐らく)父の兄が夫婦で
来たときにお供えした花にも水をかける。
線香の束にマッチで火をつける。6つある線香立てに6等分して立てる。手を合わせる。
いつもならこれだけなんだけど、今年は来る途中のコンビニで日本酒を買って供えた。
ワンカップ大関。紙パックじゃなくて瓶の方。
(こういうお供えって、瓶の方がそれらしく思えるんだけどなぜなんだろう?
 小さな頃から見てて、そう刷り込まれてるだけ?)
父は僕が小学生だった頃に亡くなっているので、
「親父と酒を酌み交わす」ということができないまま、この年になった。
父が生きていたら僕は酒を飲みながらどんなことを話すだろう?
そんなことを帰り道、自転車に乗って考えた。


大泉学園の駅から石神井公園まではすぐ近く。
大きな道路を南に下っていくと富士街道にぶつかるので、
それを新宿方面に向かえばいい。
石神井公園は満開とまではいかないものの、かなりなところ咲いてた。
(いつもビールとフランクフルトを買っていたセブンイレブンがなくなっていた)


池沿いの遊歩道を終点まで自転車でゆっくりと走り、その途中携帯で何枚か写真を撮った。
釣りをしている小さな兄弟や、猫を日向ぼっこさせているおじいさんがいた。
ラジコンになっているのか、模型の船を何台も並べているおじさんたちがいた。
船ラジコン同好会といったところか。
昼飯代わりにおでんを食べて、墓に供えたワンカップ大関を飲んだ。
池に浮かぶボートを眺めた。


帰り道は、旧早稲田通りを下井草駅の方へ。
1年ぶりの周遊コースは全部で3時間もかかんなかった。
さて僕は、何歳までこのコースを走れるだろう?
(いつまで荻窪に住むかにもよるんだろうけど)

    • -

午後は防虫剤を替えたり、ハンカチにアイロンをかけたり、
読み終えた本、寝袋、三脚を駅前のトランクルームに運んだり、
その他あれこれ片付けたりして時間を過ごす。
特典でもらったけど貼ることのなかったポスターも「えいや」と捨てる。
開けると「もったいない」と思ってしまうかもしれなかったので、
開けずに丸まったまま、折って。


日曜だというのに、忙しく過ごす。
本来は小説を書く日だったはずがさぼったので
それぐらいしなきゃな、と思う。