「ヒストリー・オブ・バイオレンス」

朝起きて高校野球を見る。
青森光星学院と岡山関西の試合。
1回裏に光星学院が先制。「いいね」と思い部屋を出る。
見ていたかったけど土曜の午前は通院のためしかたない。
後で結果を見たら6対4で負けてた。残念だ。
光星学院は8年ぶりの春のセンバツだったのに。
青森山田と良くも悪くも2強時代になって、
青森県勢は2年に1度はセンバツに出るようになったように思う。
でもまだまだ勝てない。。

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病院で牽引を受けた後、銀座へ。
昨日のジャンボラーメンがまだ腹に残ってるような気がして、昼は少なめに。
久し振りにケンタッキーに入ってチキンフィレサンドのセットを食べる。
ケンタッキーなんて久しく食ってないよ。
なんか部屋で1人あのチキンを食べるのって
ものすごくわびしい行為のように思えて。
でも次のボーナスの時には10ピースの箱を一人で買って
ビール飲みながら食べるんだぁー♪(← 女子高生風に)
「もう食えない。苦しい。死ぬまで見たくないっ!!」ってぐらいに食いまくる。
ま、別にボーナスが出なくても財布的にはいつでも実行できますが。
でもそういう後押しがないとなかなかできんのよね。気分的に。


僕の小さい頃、いとこのお姉さんが我が家に住んでいた時期があって
時々お土産にケンタッキーの6ピースを買って帰って来た。
育ち盛りの子供としては何よりのご馳走。
懐かしい思い出です。

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東銀座の東劇にて「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を見た。
デヴィッド・クローネンバーグ監督の最新作。


大きなサイズの劇場に割と客が入ってて驚く。
しかもカップルとか、女性2人連れとか、高齢者層の夫婦とか。
クローネンバーグの映画って
僕みたいな30代の文学青年崩れ(だけ)が見るものだと思っていた。
どういうことなんだろう?
カップルで見るもんじゃないよね。タイトルからして。
主演のヴィゴ・モーテンセンの人気によるものっぽいね。
劇場には直筆のサインの書かれたポスターが飾られていて、
何人もの女性ファンがデジカメで写真を撮ってた。
入場時には先着で差し上げてますと、生写真をもらった。
確かにいい男だよね。
初めて出演作品を見たけど、いい役者だと思った。表情がいい。
封印していた暴力を振るってしまった後の、家族のところに戻ってきたときの。
内に秘めた複雑な思いが一目で伝わってきた。


平凡な一市民として幸福な家庭を築いてきた男。
事件をきっかけに隠された過去が明るみになり、全てが崩れ去ろうとする。
映画の出来そのものは、まあ、クローネンバーグなんで「うーん」ってところか。
世の中にはもっと完成度の高く、芸術性の高い映画はいくらでもある。
同じぐらい高名な監督と比べたとき、クローネンバーグの映画はいつ見ても
「何かが足りないなあ」「うまくいってないなあ」と思わずにはいられない。
早い話、薄っぺらい。
でも、作家性がものすごく強いので好きになった人はとことん好きになる。
僕もその1人。世の中にはもっとためになる映画はいくらでもあるのに、
「クローネンバーグ?」「見たい!」となってしまう。
グロテスクなものが好きだとか、暴力的なものが好きだ、
とかそういう上っ面を剥いだ下に潜んでいる何かが僕のような人間を魅了する。


ザ・フライ」はSF映画の古典「蝿男の恐怖」のリメイク。
「デッド・ゾーン」の原作がスティーブン・キング
裸のランチ」の原作がウィリアム・S・バロウズ
「クラッシュ」の原作がJ・G・バラード。
(同名の本年度アカデミー作品賞受賞作ではないですよ。念のため)
こういうところが僕の趣味と思いっきり合致するんですよね。


あるいは、「スキャナーズ」や「ビデオドローム」の
暗闇で何か得体の知れない、だけど影の薄い何かがうごめいているような雰囲気。
どの作品にも漂っている、現実と虚構が焼け爛れて融合するような世界観。
そういう意味では名前が同じデヴィッド・リンチに似てるっちゃぁ似てるんだけど、
両者全然違う。うまく言えない。でも、見た人はすぐにも分かると思う。
乾いてるとか湿ってるでもなく、色の質感でもなく。
ただ、流れてる空気は全然違う。その温度とか、匂いとか。匂いは絶対違う。


ものすごく器用に、形のいびつな、一見不器用なオブジェを作ってるような感じ。
なんかかなり偏った、特殊な作家性。
そこのところはリンチと一緒。
だけど出来上がるいびつなオブジェは180度違うものとなっている。


カンヌのコンペに出品したり、
全米批評家協会賞などアメリカのいくつかの映画祭で賞を取ったり、
と今作なかなか評価が高い。でもまあ客観的に見て、佳作ってとこかな。
クローネンバーグらしからぬラストは賛否両論あるだろうな。
「何の解決にもなってないよ」と僕の後ろにいたカップルは言ってた。
何かが「それでも」続いていくのか、崩壊して終わりを迎えるのか。
予断を許さない雰囲気を残して終わるってのは僕は好きです。


ヴィゴ・モーテンセンを知ったのが一番の収穫。
エド・ハリスウィリアム・ハートが出ているのも嬉しい。


結局のところ、暴力は暴力を生むだけなのか?
その連鎖には終わりがないのか?
ヴィゴ・モーテンセンの諦念をたたえた表情が全てを物語っている。
我々は束の間の平和を享受する以外にないのである。
それでも人は、望むのなら、頑張って幸福な家族を築いていこうとするものなのである。
いつか幻に終わるかもしれなくても。