「オシムの言葉」

日本代表監督にイビツァ・オシムが就任。
そんなこともあって今ベストセラー、品切れの店もあるという「オシムの言葉」ですが。
(先々週 amazon で調べてみたら売り上げ1位だった)


周りの人が買って読んでるので、僕も読んでみた。
読んだ人みな、「すごい」「面白い」と口を揃えて言っている。
これはいったいなんなのか?


単にサッカーの戦術の話ならば僕も読まない。
そこまでサッカーに詳しくない。
だけど、旧ユーゴに並々ならぬ関心を寄せている先輩が
「これは読むべき!」「エミール・クストリッツアに通じるものがある」
と目を輝かせて語るので、「だったら・・・」と買うことにした。


いやー。これは読んでよかった。
余りの面白さに土日、一気に読んでしまった。
人間オシムの(サッカーや組織論・人間論に留まらない)人生哲学と、
その裏に横たわる激動の人生。
Jリーグ中、最も低予算で補強もままならぬジェフ市原
いかにして強いチームへと鍛えられていったか?


92年からのボスニア紛争勃発の頃、
多民族国家ユーゴスラビアの最後の代表監督だったというだけでもすごい。
セルビア人、クロアチア人、ムスリム
つい数年前までは同じ代表チームで戦っていたのが、民族間の対立により敵味方となってしまう。
優秀な選手を代表に召集しようとオシムが電話をかけると、
「報復活動が怖いので自分は呼ばれなかったことにしてほしい」と嘆願される。
故郷サラエボが包囲され、妻と娘が取り残される中、
92年の欧州選手権の予選を前にオシムはあえなく辞任。
旧ユーゴ代表は国連の制裁により強制送還。
サラエボに近いという理由でギリシアのクラブチームの監督となったオシム
無線機を通じて毎晩妻と連絡を取り合おうとする。
しかしつながるのは月に数回だけ・・・
サラエボオリンピックで使用されたメインの競技場は
戦没者の眠る広大な墓地となった。


こう言ってしまうとミモフタモナイけど、まるで映画のような人生だ。
しかも、クストリッツァの映画。
黒でもなく白でもなく、黒と言うのでもなく白と言うのでもなく、
複雑な事情がモザイクになって複雑な感情が伝わってくる。
どんな悲惨な状況にあっても他人を笑わせるためのユーモアは忘れない。
なんかものすごくシンクロする。


クストリッツアの映画「ライフ・イズ・ミラクル」を去年見て、
ボスニア紛争のリアルな情景をユーモラスに描ききった名著「サラエボ旅行案内」を
今年になって入手して読んだ僕みたいな人からすれば、
この「オシムの言葉」は両者の間を繋ぐ第3の輪のように思えてならなかった。
(「ライフ・イズ・ミラクル」に出て来る捕虜交換の舞台となった橋の話も本文中に出てくるし、
 「サラエボ旅行案内」の記述も引用される)


つーか、逆に「オシムの言葉」を読んで感銘を受けて
ボスニア紛争という歴史的事実に多少なりとも興味を抱いた人ならば
どちらかに触れてみてほしい。
「こういう状況の中でサッカーをしていたのか!!」
オシムの凄さがもっとよくわかる。


昨日までの友人からも憎しみの言葉を受ける。
すぐ近くの町で銃弾が飛び交い、生きるか死ぬか瀬戸際の日々を送る。
そんな逆境の中でも強いチームを作り上げる。
比較して日本代表。ぬるま湯の中でグダグダだったんじゃないか?
こうなるとここから先、日本代表のサッカーには嫌でも注目せざるを得ない。
4年後のワールドカップの試合だけを見るのではなく、
それまでの4年間にオシムはどこまで鍛え上げるのか?
個々の選手たちを、日本のサッカーを。
その過程を時間の許す限り、見つめていきたいと思う。
オシムの言葉」を読むとこの人は
選ばれるべくして選ばれたとしか思えない。


僕はこれまで日常生活の中でのちょっとしたお祭り騒ぎの1つとして
サッカーを、サッカーの国際試合というものを見ていたけど、
この本を読んで初めて、サッカーというスポーツに心から興味を持った。
チームの一員として力の限り走り続ける選手が1人でも多く現われることを期待する。