ツアーでペルー その10(4月22日)

サンクリストバルの丘


バスは郊外に向かって走る。
左手にサンクリストバルの丘。てっぺんに十字架が建っている。
斜面が無数の家というか家未満の雑多な建築物でびっしりと覆われている。
ペルーの各地から、特にアマゾン地方から
仕事を求めてきた人たちが空いている土地を不法占拠して勝手に家を作る。
最初はワラで、お金が貯まるとレンガで。
やがて家々が寄り集まって集落として形成されていくようになる。
そうすると国に集落の承認を求め、水や電気を引いてもらう。町が出来上がる。
メキシコシティ郊外にもこういう山があったなあ。全く一緒。


すぐ目の前の家をよく見ると屋上から鉄骨がむき出し。屋根はない。
これは家族が増えて増築するときを見越して、そのままとしているもの。
屋上にはアンテナが立てられ、紐が吊るされて洗濯ものが干されている。
これらの「家」は隣家とつながりあっていて、横に長くブロックのように連なっている。


山の中腹に文字が描かれている。
「SORIA」「UNFU」何を意味しているのかよくわからなかったけど、
企業や政治家のCM/PRであるらしい。


フジモリ大統領の話になる。
(日本人観光客相手に日本人ガイドが話しているせいか、非常に好意的な内容となる)
側近の不正により失脚したものの
依然として元大統領を支持する人の数は多く、田舎だと特にそう。
1990年から2000年までの10年間の間の業績として、
・リマ市内からのテロの排除
・田舎に電気をもたらす
パンアメリカン高速道路の敷設
・小学校を田舎に建設(実に3800校に上る)


2006年の大統領選挙に出馬しようとしたものの、国内に戻れば逮捕される身となる。
現在はチリにて身柄を拘束されている。
テロとの争いにおいて無実とされる人々も多く犠牲となったことが原因となり、
ペルーでは殺人罪に問われている。


現在の大統領はアラン・ガルシア。
フジモリ大統領の前任であるが、インフレを加速させ、
テロリストのグループも活動が活発になったなど当時の評判はよくない。
しかし2006年の選挙で「過ちを繰り返さない」として返り咲く。


そこから話は日系人のことに。
さくら丸に乗った700名が1889年にペルー到着、
契約移民としてサトウキビ農園で働くことになった。
当初契約していたよりも過酷な労働が彼らを待ち受けていたが、
日本人本来の勤勉な性質により耐え忍ぶ。
やがて彼らは独立を果たす。彼らの多くがクリーニング屋を始める。
(「さゆり」「よしえ」といった名前のクリーニング屋が今でもあるとのこと)
その他彼らの始めた商売としては電気屋などがある。
今は彼らの子孫は5世、6世となり、日本語が話せない人も多い。
彼ら/彼女たちは18歳になるとペルーか日本か国籍を選ぶことができるが、
ほとんどが日本国籍を選ぶ。


(広島の小学生の女の子を殺害したヤギ容疑者を僕は思い出す。
 でも今調べてみたら彼は「偽装」日系人らしかった。
 日本で出稼ぎしやすいように、彼らは偽名を名乗る。
 ペルーの日系人7万人のうち、2万人が偽装と推定されるとのこと)


バスは新市街へ。
スラム化する旧市街を逃れて、富裕層が移り住んだ地域。
道路には椰子の木が植えられ、家は一戸建てとなる。
きれいな建物ばかり。
そのうちのいくつかは会員制のクラブ。プールやゴルフが利用できる。
ペルーは10%の富裕層が富のほとんどを握っている。
バスは競馬場の側を通り過ぎる。


国立の小学校ではたいした教育を受けることができない。
授業は10時から12時まで。夏休みは3ヶ月、冬1ケ月。
賃金待遇の余りの劣悪さに教師はよくストライキを行う。
月間の給与が日本円にして1万5000円に過ぎない。最下層の職業のうちの1つ。
(ペルーでの最低所得水準は1ケ月100ドルから200ドル)
その一方で私立の小学校は
最上級のアメリカンスクールともなると1ヵ月の授業料が800ドルとなる。


日本人の多くが新市街に住んでいて、日本人学校では日本と同じ教育を受けることができる。
しかしフジモリ大統領の時代が終わってからはペルーを去った日本企業も多く、
日本人学校の生徒は今、一学年4・5人ということもある。


アメリカ大使館の前を通りかかる。
今手元に写真がないので描写が難しいんだけど、
まあなんというかモダンかつ不思議な建物。


天候の話となる。
リマは年間を通して雨が降らない。
太平洋に近い地域は日が出るのも短く、霧が多い。
ペルーの沖合いで寒流と暖流が混じり合うのであるが
その分上昇気流が発生せず雨を降らす雲が発達しない。
これが車で30分も走ると、日照時間が長くなり、湿気が減る。
それがどの辺りかというと、新市街の方。
なので裕福な人たちは新市街を好んで住むようになる。


「ペルーの沖合いで寒流と暖流が混じり合う」ため、ここは豊かな漁場となる。
今でこそ中国に抜かれたが、ペルーはかつて世界一の漁業国だった。
日本のマグロ漁船がペルー沖合いまで漁に来る。