「インド ベンガルの吟遊詩人 バウルの唄」

okmrtyhk2007-06-11


会社の先輩がインドに旅行したときに出会った人たちが
日本に来て演奏をするということで、誘われて見に行ってきた。
「インド ベンガルの吟遊詩人 バウルの唄」


■日本公演に関して
http://orange.ap.teacup.com/baul2007/


■そのチラシ
http://kikorirecords.at.infoseek.co.jp/baul2007flyer.pdf
「バウル」について説明が載っているので、興味のある人はここを参照してください。


今月に入って何回か演奏が行なわれているが、僕が行ったのは昨日の夜。
場所は稲荷町本覚寺というところ。
名前の通りお寺であって、その本堂にて行なわれる。なかなかないロケーション。
この本覚寺ではよくコンサートが開かれているようで、
今試しに検索してみたら最近の日付では「アルゼンチン・タンゴの夕べ」とか
ブレヒトの「マリー・Aの記憶」といった催しがヒットした。
もっとあさっていくと落語や三味線の会ってのも出てくる。
僕はよくわからないけど、「ベーゼンドルファー」という有名なピアノが置かれているみたいね。
だけどそもそもこのお寺は「蟇大明神」として有名なようだ。
http://www.kerokerodan.com/kaerutabi/039kaerutabi.html
小さなお堂があって、わさわさと溢れんばかりの蛙の置物が!
蛙の神様に願い事をした人があちこちから集まってきて、ここに奉納しているのだろう。


本堂の中へ。思ってたよりも小さくてこじんまりとしていた。
ほんのりとお香のにおいがする。
菩薩?をかたどったステンドグラスが壁に嵌められていて、
天井には昭和モダンなシャンデリアが吊り下げられている。
全体的にシックな雰囲気。
住職の方たちがお経を唱える場所よりも一段下がったところに
敷物を敷いてタブラなどセッティングされていて、
本堂の後方、ご本尊と向かい合うように椅子が並べられ客席が作られていた。


客層は若者から年配の方まで老若男女幅広く、
その格好からしてインドが好きそうな人たちが多かった、というか目立っていたように思う。
でもわかりやすく上っ面のインドって感じでもなく、
なんつうか生活のどこかに深くインドと触れ合ってるというか。
ベンガル地方の音楽が演奏されると聞きつけて、集まってきたんだろうな。


17時過ぎに、開演。
メンバーは1人都合により来日できず、当初聞いていた5人から1人減って4人となる。
それまで韓国で公演していたのだが、インドに戻ったのだそうだ。
*ショッタナンダ・ダス 
  歌、エクターラというドローン系の1弦琴と、ドゥギという小さな太鼓
*タロック・ダス・バウル
  歌、ドータラという5弦の三味線みたいな楽器、カマックという小さな太鼓から伸びた弦をはじく楽器
*シュクマール・マリック
  タブラ、コール(まあ要するにパーカッションですね)
*ホリ・ダシ
  マンディーラというとても小さなシンバル


いつもこのメンバーということではなく、会社の先輩曰く、その時々によって変わるようだ。
「バウル」という集団があって、その中で音楽を中心とした修行をしている人たちが何人かいて、
世界の各地で流動的に演奏活動を行なっているということか。


ホリ・ダシは日本人の女性で、ショッタナンダ・ダスと結婚してインドで修行中なのだという。
演奏と演奏の合間には、小型ラジオみたいなのを操作してウィーーーーンと音を出していた。
携帯ドローン発生器なのだろうか?
インド音楽、インド文化に詳しくないので、その辺のことはよくわからず・・・


最初は4人が座って演奏。弦をはじいて、太鼓を叩いて。
僕としては「ふーむ・・・」ぐらいの感想。
「詳しくない」ってさっき書いたけど、実は僕、インドに対する興味ってほとんどない。
海外旅行は好きだけどインドは行ったことないし、
これから先行きたいかっていうと他の国・地域よりは格段に優先順位が下がる。
インド音楽のこともよくわかってない。たぶんCDは1枚も持ってない。
思い浮かぶのは「ムトゥ 踊るマハラジャ」のバックで流れるようなこってりしたやつと
60年代後半にジョージ・ハリソン初めロック・ミュージシャンがこぞって夢中になった
ラビ・シャンカールのシタール。それぐらい。
それがどこの地方にルーツを持つもので、とか全然知らない。
人生のある時期まで、ガムランはインドのものだと勘違いしていた。


そんな僕が、ショッタナンダ・ダスとタロック・ダス・バウルの2人が
立って演奏し始めた辺りから「おっ」と思い出す。
演奏に迫力が生まれる。
ショッタナンダ・ダスは凛として立ち、タロック・ダス・バウルは熱を込めてドータラを弾く。
歌いながら踊り、踊りながら歌う。
2人の足首にはグングルという鈴が括り付けられ、足を振ったり跳ねたりでシャリシャリと鳴る。


なんといっても、声。強くて張りのある歌声。
「よく伸びる」とか「声量豊か」とかそういうレベルじゃないんですよ。
思わず聞き惚れる。
これか!と思う。
声を声として捧げる行為。歌という表現。ここまでしてこそのものなのだ。
これは目の前で聞いてみないことには、わからない。
いくら言葉で書いたって何も伝わらないだろう。


じゃあこの声で何を歌っているのか?
僕はそれが気になった。
神々への畏敬の気持ちなのか、下世話な恋愛ごとなのか、村での日常生活なのか。
後半の方で1曲だけショッタナンダ・ダスが解説した。
「私の体という寺の中で、お香は炊かれたが、灯明はまだ灯されてない」
なるほど、と思う。だいたいの位置づけがわかった。
終わってから買った韓国公演のCDに曲名が書かれていた。抜粋する。
「グルよ、無知の暗黒をなくして、智恵の光を目に与えてください」
「神に私の中の神を伝えます」
「サドゥーと供に過ごすのは偉大な悦び」
「しばらくの間、クリシュナの愛を心の中に秘密にしておきなさい」
何も知らずに読むとギョッとする。敬遠したくなる。
だけど実際の歌を聞いてしまった後では、「ああ、そういうものなのだ」と納得する。
宗教的と言うとこのご時世、政治的な匂いがするから
人々の暮らしに密接に結びついた信仰というものを皆で大事にする気持ちとでも呼ぶべきか。
歌も踊りも楽器の演奏も神々への捧げ物であって、
その喜びを人々に語り継ぐための行為なのだ。
歌い終えて、ショッタナンダ・ダスたちは深く深く祈りを捧げ、
本堂のご本尊に対しても手を合わせた。
その姿が、とても印象的だった。


終わったら20時を過ぎていた。
途中休憩を挟んだものの、3時間近く演奏していたことになる。
え、そんなにやってたの?と驚く。


また何年か後に日本に来ることがあったら、是非見てみたいと思う。
そのときは別のメンバー構成となっているだろうし、今回とは違う経験が得られるのではないか。
新しい発見が、得られるのではないか。


この日、浅草のこの界隈はお祭りが行なわれていたようだ。
昼間神輿を担いだのか、白や黒のはっぴを着た人たちが
町内のあちこちで集まってにぎやかにしていた。