「158ポンドの結婚」

あれは9月のまだ暑い頃だったか。
新宿南口の紀伊国屋書店に行ったとき、絶版・古本フェアみたいなのをやっていて
ジョン・アーヴィングの「158ポンドの結婚」を見つけた。
1000円を超えてたか。定価よりも高くなっていた。
持ってたかどうか心もとなかったのでとりあえず買った。


そろそろ読もうかとロフトに積んでた未読の山の中から探す。
会社の行き帰りに読み始める。
「ああ、これ、昔読んだことがあるかも・・・」と思いつつページをめくる。
どういう話だったかは覚えている。
ウイーンとレスリングがモチーフになって2組の夫婦がパートナーを交換する話。
でも、それって文庫の背表紙に書いてあったことを覚えていただけかもしれない。
あるいはどこかで読んだ作品紹介。
それ以上の内容は全然思い出せない。


最初のうち、「あれれ」と思う。「いや、やっぱ読んでないわ、これ」
次々とよどみなく発せられるエピソードとディテールのことごとくに記憶が無い。
第2次大戦終了直後のウィーンを舞台にして陰惨な出来事が
ジョン・アーヴィング独特のユーモラスなタッチで語られる。
こんなインパクトのある話、忘れるはずが無い。


読み進めていくうちに、「いや、やっぱ読んでたわ、これ」と確信する。
全体としての話の方向性が見え始めたとき、
その骨格に当たる部分がどうなってたか、その感触を僕は思い出した。


普通、1度読んだ本を読み返している暇はないから
既読の山に移して次を読み始める。
だけど今回はそうしなかった。
余りの面白さにそのまま読み続けることにした。


学生時代に読んだきりだから、もう10年以上前か。
そしてまた今、新鮮な気持ちで読むことができる。
これって10年の歳月の間に記憶が薄れたからってだけではなくて、
もうただ単純にジョン・アーヴィングの小説が優れているから、面白いからってことだと思う。


同じ小説を再び読んでも面白いし、一見同じような他の小説を読んでも面白い。
特異な作家だと思う。
初期の作品にて出て来るモチーフはことごとく同じ。
レスリング、ウィーン、アメリカ北東部の沿岸地域、
子煩悩なパパ、奇妙によじれた家族関係、などなど。
作家の実体験を何の衒いも無くそのまま放り込んでいる。(最後の1つはどうかわからんが)
なので印象としてはまず、どれも同じように思える。
だけどもう一歩踏み込むと全然別のものが、しかも圧倒的な物量で見え始める。
そしてもう一歩踏み込みと、ジョン・アーヴィングという大きな存在を実感するようになる。
SF界で言うと、ジョン・ヴァーリィの連作に同じようなものを僕は感じる。
映画だと、もちろんエミール・クストリッツァ
入り口に貼ってある宣伝のポスターはいつも似たり寄ったりなのに、
中入るとどれも全然違ってるというか。


この手の作品って僕が思うに、いつ見ても、いつ読んでも同じものを受け取る。
同じだけの広さと深さを受け取る。そしてそれはとてつもなく大きい。
読んだときの年齢や心境に左右されて受け取るものが変わるということはない。
なぜか、そんなふうに思う。なぜか、つながりがある。
要するにこれらの作品は圧倒的な世界観を構築しきっていて、
読者の想像力に委ねられる要素は少ない。
書き手・作り手のパワーに身を任せていれば十分すぎるほどの読後感が得られる。
そしてその読後感の中において、読者の想像力が結びついていく。


1つの構造体として閉じられ、また開かれている度合いのスケールとでも呼ぶべきものがあって
これらの作品はそのスケールがとてつもなく大きい。
よって時代に飲み込まれるということがない。個人の意思に左右されない。
ジョン・アービングの作品はジョン・アーヴィングの作品として常に瑞々しさを保っている。


何をどんなふうにしたらこんな小説が書けるのだろう?
才能なのだろうか。一言で言って天才ということか。
ジョン・アーヴィングについてはもっとあれこれ書きたいんだけど、今日はこれまで。



158ポンドの結婚 (新潮文庫)

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