今なんとなく思い出したこと。
高校時代演劇部にいた僕らはある日、ラジオドラマに出ることになった。
脚本を書き、演出し、自らも主演というパワフルな子が同級生にいたんだけど、
その子が地元のテレビ局のアナウンサーと演劇的になんかつながりがあって。
その人がパーソナリティーを務めている番組の新コーナーみたいな扱いとなった。
当時の仲間みんなで、普段通学で使ってる自転車に乗って
高校から割と近くにあったテレビ局に行った。
「○○高校演劇部」と名乗るわけにも行かず、劇団名をつくった。
劇団「ピコピコポン」というので、僕が思いついたものだった。
(このラジオドラマに関して、数少ない貢献の1つ)
裏口みたいなところからこそこそ入っていったように思う。
廊下があって、すぐスタジオがあって。
テレビ局見学みたいなことはなし。
ラジオドラマ収録用のスタジオ以外に何かを見たという記憶がない。
ミキサーが設置され、過去の音源を並べておく棚のある部屋とその奥に防音室。
演劇部にいたとはいえ僕は役者じゃなかったので
その場では特に何をするわけでもなく。
物珍しいからついてったぐらいのもの。
選曲だけは関わった。
スタジオで台本見ながら打ち合わせしているときに
「ここ曲入れたほうがよくない?ババーンって感じのやつ」となると
「だったらあれは?「2001年宇宙の旅」で使われてた・・・」
「ああ、あれね。わかった」
みたいな感じで。
あと、当時部室でこんな変てこな音楽があるってことで聞かせた
Throbbing Gristle 「Subhuman」が内輪受けしてた時期だったので
それを無理矢理使った。
(当時、MUTEが日本ではアルファと契約してて
Throbbing Gristle や Cabaret Voltaire の日本版ボックスセットが普通に出てた。
MUTEファンとしてはいい時代だった。90年代初めの頃)
収録は3回、というか3週分行われて、僕はそのうち最初の2回に同行した。
3回目はさすがに、何もしない人がうろちょろしてるのもなんだなと行かないことにした。
あのコーナーはたぶん3回で打ち切りか。
地元の高校生が好き勝手やってるだけだもんな・・・
局の方でも「あれはなんだ?」ってことになったのだろう。
最初の回にて「脚本募集します」って言ったら
ほんとにリスナーから脚本が送られてきた。
で、2回目はそれをやった。
書いた人は大真面目だったんだと思うけど、まあありがちなもので
みんなはかなりふざけた感じでそれを朗読した。
今思うとあれは悪いことしたなあ。
などなど。
アナウンサーの人は今どうしてんだろう?と思って
記憶を頼りに検索してみたら、Wikipediaに載ってて驚いた。
ラジオ番組の名前もわかった。
そうか、あのコーナーが元で干されたわけではなかったようで。よかったよかった。
高校卒業頃、演劇部の仲間で家に押しかけたことがあったんだよなー。