青森帰省 その3

okmrtyhk2008-03-22


7時半起き。昨日の残りのカレー。家中に簡単に掃除機をかける。
その後しばらく待つ。「ベスト・アメリカン・ミステリ」の続きを読む。
9時半頃だっただろうか、津軽線に乗ってきた祖母を伴って妹が来た。
妹が運転して、4人で車に乗って、本町にあるお寺へ。父の27回忌。


岡町の田んぼを貫くようにして高架橋のようなものができていた。
聞くと「青森新幹線の操作場の・・・」ということだった。
その関係で僕がそれまで知らなかった場所にトンネルができていて、くぐる。
平地に出る。この日は天気がよく、八甲田山だけではなく、珍しく岩木山も見えた。
その後海沿いの道に出る。
港の方を走っていたら「船の博物館」ってのがあった。


11時より法要。
4年前の23回忌に来たときには、映画を撮っていたから、
そういうの全部ビデオカメラで撮っていた。
今回はそういうこと、もちろんしない。
僕とそれほど年の変わらない若い住職が広間に入ってくる。
僕ら側は椅子が用意されている。正座する必要がない。
鐘が叩かれ、読経が始まる。小さい頃はこの時間が苦痛でじっとしていられなかった。
今はそうでもない。とはいえ、聞いてても意味がよくわからないのは変わらない。
住職がお経を読む声を聞きながら、取り留めのないことを考える。
父のことを考えるわけではない。ただ、最近のあれこれを。


法要が終わって、母は片付いてよかったと言う。
昨日の郵便局での手続きや古本を売り払ったこと、
今回の帰省ではあれこれいろんなことが片付いたようだ。
その後、また車に乗って森林博物館の向かいにある和食の店で食べる。
この店は前回、昨年の夏に来たときも母と2人で来た。
天ぷらの食べたい気分だったが、夜のホテルで出るだろうと掻き揚げ丼にする。


位牌を落ち着かせるためにいったん家に戻る。
野辺地の温泉ホテルに4人で泊まることになっていたが、
祖母は体の調子が思わしくないということで行かないことになった。
津軽半島の先、今別町の家まで送っていくことになる。
最初は妹だけのはずがせっかくだからと僕も母も乗っていく。
今別の家も実に4年ぶりだ。
小さな頃は夏休み・冬休みともなると
すぐ津軽線に乗って泊まりに行ったものであるが。
4年前の正月に泊まったのが最後。
それ以後、そもそも正月に青森に戻ってきていない。


新しいバイパスを走って、一本道をいっきに奥内・後潟・蓬田・蟹田と抜けていく。
晴れていて、車内は暑かった。ダウンジャケットを脱いだ。
山間の道を走る。この辺りもほとんど雪が解けている。
途中でウトウトしているうちに到着する。
村というより、集落。津軽の奥地。山の中の小さな一帯に家が寄り集っている。
日用品と食料品を売る店がいくつかあるだけ。
週に2回だったか、遠くの町から野菜や鮮魚を売るトラックが止まる。


祖母の家へ。中に入ると叔父が1人でテレビを見ていた。
飲め飲めと缶ビールを渡され、飲む。
運転してる人もいるのだからと母はいい顔をしない。
それでも勧められたのだからと飲む。すぐ飲み干して2本目を飲む。
空になった焼酎のボトルに山ウドを水に漬けたのを、祖母は持っていけと言う。
「祖母に」と持ってきた養命酒の瓶を見て、母と叔父はいつものと違うという話をする。
棚に仕舞っていたのを持ち出して、ラベルが違うと。だけどメーカーは一緒じゃないかと。
どうも薬屋で薬用に売っているものと酒屋で売っているものとで区別している、
ということだった。本来は同じ物。でも値段も薬用の方が安いようだ。


長居せず、すぐにも出て行く。
僕はロングの缶ビールの6本パックをもらう。
帰りの車の中で、この辺の木は何なのか母に聞く。
杉と松、ところどころヒバ、ということだった。
周りに葉を落とした木々が立ち並ぶ中、
3月のこの時期、杉と松は深緑の葉をつけていた。
「この辺りに立っているのは赤松で、海辺に立つのは黒松、男松」
ラジオをつけてこの日開幕したばかりの高校野球を聞く。
宮城の東北高校と滋賀の北大津高校。
最初は東北高校が勝っていたのが北大津高校に逆転されて負けた。
そういえばダルビッシュ東北高校だった、ということを思い出す。


蟹田から、海辺を走る。
海の色は穏やかな青。津軽の冬の灰色の海ではない。
青森に春が来たのだということを知る。


15時頃着。家に立ち寄って温泉へと向かう。
正式名称は「まかど温泉富士屋ホテル
パンフレットの写真を見るととても大きかった。
箱根の富士屋ホテルのチェーンらしい。
青森の温泉っていうとよく名前を目にするなあと思い、
最近できたのかと聞いてみると、そうでもなくて昔からあるようだ。
ただ、経営者が替わって、それから大きくなって有名になったのだと。


野辺地までは1時間ちょっと。
合哺公園から造道の方に出て、浅虫温泉へ。
青森駅前は寂れてしまって久しいが、
この辺りの、青森市の大動脈である国道4号線、
それを挟むロードサイドの店舗はそれなりに栄えていた。
アメリカ屋であるとか、駅前から撤退した昔からの店も残っていた。


夏泊半島、平内、野辺地へと進んでいく。
「大和山」の標識の前を通り過ぎる。あれこれ聞く。
青森では有名なようだ。僕は知らなかった。
その次に見えてきたのが「夜越山公園」
子供のための遊戯施設やサボテン公園がある。スキー場もあったような。
小学校の低学年の時、遠足で来たことがあるのを思い出す。
山の斜面をおもちゃのソリのようなもので滑り降りた。


海の向こうに下北半島
白い棒のようなのが何本も何本もニョキニョキと生えている。
ここからでも見えるから、相当な高さだ。
後にホテルの人から六ヶ所村風力発電施設だと教えてもらう。


道路沿いに「711.3 km」というふうに小さな標識が立っている。
東京からの距離。恐らく日本橋を基点とする。
そうか、東京から青森まで 700km もあるのか、と今更ながら知る。
ちょうど 700km の地点は平内と野辺地の境目だった。


平内を過ぎて野辺地に差し掛かる。
母が以前訪れたとき、「津軽と南部の境目」を示す物が建っているのを見たのだそうな。
探しているうちに通り過ぎてしまう。
ちらっと見たら海沿いの小さな広場に、関所のようなものがあった。


ホテルに到着する。立派な構えだった。
ロビーは吹き抜けで、小さなねぶたが飾られている。
客間に案内されてさっそく温泉に入る。
奥内の大浴場と露天風呂がある。
露天風呂と言ってもたいして景色がいいわけではなく、
まあ屋外に風呂があるといった程度のもの。
4年前の法事の時の浅虫の温泉の方が眺めがよかったなあということを思い出す。
あの時は椎間板ヘルニアだと知らず、
左肩がやけに痛いなあ、温泉で直らないかなあと思いながら入ったものだった。


温泉に浸かって、あれこれとりとめもなく考える。
主に今書いているのと、次に書こうと思っている小説のこと。
どちたも舞台のモチーフが青森となる。
ここ何日かで見た、特に昼に訪れた津軽の奥地の風景のイメージを言葉に重ね合わせる。
仕事のことは考えなかった。
今回はここ何年かの帰省の中では珍しく、仕事の悩み・不安が全く無かった。
忙しくて今この時期休んでる場合じゃない、ってのに目をつぶれば。
それ以外は心に引っかかるものは何も無く。
穏やかな気分で温泉に入ることができた。


温泉を出た後は部屋で缶ビールを飲みながら、
「ベスト・アメリカン・ミステリ」の続きを読む。
18時半になって食事。部屋に運ばれてくる。
貝焼き味噌、牛のしゃぶしゃぶ、ホタテ釜飯。これらは固形燃料に火をつけて温める。
その他にアワビと海老と鯛の刺身、金目鯛の煮付け、小さな壷に入ったビーフシチュー、
などなど。豪華なもの。27回忌の法要の締め括り。
生まれて初めてナマコを食べた。
「出されたものは全てきれいに平らげる」をモットーにしている僕は
茄子の漬物だと思って間違えて口に入れて、仕方なくそのまま食べた。
それまでの人生で「これは絶対自分に合わないだろう」と思って食べてこなかったのだが、
正にその通りだった。ナマコとホヤだけは口に合わない。
ウニや一枚貝のいくつかも苦手。つまり魚介のうちでグロテスクなもの。
でもこれで一通り、「今まで食べたことがない」という食べものはなくなったかもしれない。


食べ終えてまた温泉に入りに行く。
19時半だったか。
周りは食事の時間だったのか、男湯は最初僕だけだった。
星空を眺めながら一人で露天風呂に入った。


温泉を出て、部屋に戻る。
ハーゲンダッツのバニラを食べながら「ベスト・アメリカン・ミステリ」を読む。
21時頃。母も妹も寝ていたので、僕も布団に入る。