タッピングペースト

大学時代の友人ヤマモトから「今度うちでホームパーティやるからさ、来いよ」と誘われる。
卒業して何年かブランクがあって、最近また会うようになった。
去年買ったマンションはベランダが「とにかく」広い。
この季節だと風が涼しくて気持ちいいね、とヤマモトは言う。
僕の知っている人は他に誰か来るのか、気になった。
「ホームパーティーなんて苦手だよ。知らない人がたくさんいるのって疲れるし」
ヤマモトは笑いながら、「いや、そんなたくさん呼ばないよ。こじんまりと少人数で」
「嫁さんは、つうか、ミユは?」
「もちろんいるよ。でなきゃホームパーティーなんて言わないだろ?」


このところ土日に予定を入れてなくて、その日は空いていた。
断る理由もなく、たまにはそういうのもいいかと思った。
「手ぶらでいいよ」と言われていたけど、
せめて自分の飲む分のビールは、とエビスのロングを2ケース分買って持って行った。
あと、降りた駅のデパートの地下を一通り回ってみて、デザート用のアイスを選んだ。


15時からと言われていたので、きっちり時間を計って、少し遅れて15時15分に着くようにした。
プリントアウトした地図を見ながらマンションの近くまで行って、
近くに TSUTAYA があるのを見つけるとそこで暇をつぶした。


パーティーは既に始まっていた。
ヤマモト夫婦と30代前半ぐらいの女性が1人。
「なんだ遅かったな」と友人が言った。「始めてたよ」
僕はビールとアイスをリビングのテーブルに置いた。ヤマモトが冷蔵庫にしまった。
「こちら、サトウさん」と紹介される。「あ、どーも」みたいな挨拶をする。
「これだけ?」
「そう、これだけ」
ベランダから中に入ってきたヤマモトの奥さん、ミユが「タカハシ君!久し振り」と言う。
僕の目の前まで来て大きな皿を抱えながらニコニコと
「1年以上会ってなかったよね。もっと来てくれてもいいのに」
僕は何も言わず、ただ笑ってみせた。


ベランダにデッキチェアを並べて、パーティーが始まる。
ツナとタマネギのディップ、ハラペーニョの入ったアボガドのディップ。
朝作ったというチーズの燻製。リンゴで味付けされたスペアリブ。
食べて、飲んだ。景気の悪さだとか、過去の思い出だとか、あれこれたわいのないことを話した。
サトウさんは僕の趣味を聞いて、僕は映画のことを話した。
お互いに最近見た映画の話をする。誰それの新作がどうこうとか。
「映画ってどうしても見たいものがあったら1人でも見るほうですか?」とサトウさんは聞く。
「や、僕はいつもだいたい1人ですよ」
「いいですね」とサトウさんは言う。
「気になったのがあっても、周りで誰も見てくれなくて見逃すってことがけっこう多くて」
「女性だったらさ、普通誰かと2・3人で映画見に行くよね」とミユは言う。
「そうだ、タカハシ君が一緒に行けばいいのよ!どう?」


ミユが空いた皿を下げようとすると
サトウさんは「私がやるからいいよ、少しはゆっくりしたら」と言ってリビングに消えていった。
ヤマモトもまた、「俺が焼いたなんとかが」とか言いながらオーブンを見に中に入った。
ベランダは2人だけになる。
「あの子、どう?」
「どうって?」と僕はとぼける。
分かってる。僕をサトウさんに引き合わせるためにこのホームパーティーは企画されたのだ。
僕の友人とその奥さんは、それが誰にとってもいいことなのだと今でも信じている。
「どう?」という言葉が僕の中でグルグルと回る。


僕はミユをチラッと見つめる。
横顔に夕暮の光が当たっている。まぶしくて目を細める。くしゃっと顔をしかめるように。
あの頃と何も変わっていない。10年前と。出会ったのは、もっと前か。
・・・僕は昔、この人のことが好きだった。
好きになったけど、どうすることもできなかった。
その時には既に、ヤマモトと付き合っていたから。
サークルで公認の仲。みんなが知っていた。
諦めた。そのときにはもう4年生で、就職したら環境の変化に合わせて何かが変わるだろうと思った。
実際その通りになった。
その後しばらく引きずって、気持ちは薄れていった。
今は何とも思っていない。


・・・いや、それは嘘だ。
「なんとしてでも奪い取りたい」「例えそれが1日でもいいから」
そんな闇雲に熱い気持ちになったりはしない。
30を過ぎると何が現実的な物事なのか、嫌でも分かっている。
だけど、その人を目の前にすると、どうしても心の奥底で何か疼くものが出てくる。
形にならない思い。僕の中でその部分が永久に固まってしまったかのような。
僕をぎこちなくさせて、やるせなくさせるもの。


何年か前までは会わないほうがいいのでは、と考えていた。
実際、そうした。
ヤマモトからも距離を置いた。


そして、30を過ぎて、そんなことの全てが、どうでもよくなった。
僕は今ここにいる。ヤマモトのベランダのデッキチェアに沈み込んで缶ビールを飲んでいる。
ミユもまた、缶ビールを飲む。
そしてそのミユは僕にサトウさんという女の子を薦めている。


「どう?」という言葉が僕の中でグルグルと回る。
僕は缶ビールを飲み干してその缶を握り締めたまま、暗くなりかけの空を眺めた。
どれだけの時間が過ぎていっただろう。一瞬のような、永遠のような。


「寒くなるよ、中入らない?」
そう言ってミユが立ち上がる。
こちらを見るともなく、リビングへと消えていく。


僕は1人取り残されて、ガラスの向こうの3人を眺めた。
幸せそうな夫婦と1人の女。
3人の笑顔。
何かを話している。
きっと、僕のことを話しているのだろう。