「十牛図に挑む MAYA MAXX 展」

okmrtyhk2009-03-24


先々週京都を携帯観光ナビゲーターのモニターとして歩いていたときに、
真っ赤な牛を描いたポスターを何度も見かけた。特に祇園、花見小路に入ってから。
なんだろう?と思う。「十牛図に挑む MAYA MAXX 展」とある。
なんか気になった。誰だろう?MAYA MAXXって。
その日は見に行く時間がなかったので
次の週というか先週末また京都に来る機会があったので見に行くことにした。
東京に戻ってきてから検索してみる。
よしもとばななの装丁画を描いているらしい。
そう言われてみれば、輪郭がぼやっとしてるけどどことなく力強くて懐かしい線と色彩の絵、
どこかで見たことあるかも。
その頃、編集学校で一緒の教室だった方からもメールでやりとりしているうちに
何の偶然か MAYA MAXX の名前が出てきて、びっくり。


MAYA MAXX 公式サイト
 http://mayamaxx.com/
■展覧会公式サイト
 http://www.kahitsukan.or.jp/frame.html


ということで先週末の祝日、出張帰りに京都まで足を伸ばして、よく晴れた午後、見に行った。
14時半だったか、入り口でチケットを買ったら「今、ライブペインティングやってますよ」と言われる。
会場は花見小路の奥にある建仁寺の禅居庵ってとこらしい。整理券をもらったので行ってみる。
急ぎ足で5分ほど歩く。禅居庵の本堂には大勢の人が集まっていて、即に始まっていた。
MAYA MAXXトーク
今年48歳になるという金髪のおばちゃんで、これがまたよく喋る喋る。
ずっと喋りっぱなしで全然描き始めなかった。
だいたいこんな感じ。(かなり再構成あり)


「この前、ロンドン行ったんよね。どこ行ってもアートギャラリーみたいなとこ行くんやけど、
 イギリスって国は絵がイマイチやね。有名な絵描きさん知ってる?おらへんでしょ?
 でもその代わり、イギリスは大英博物館。あれがまたすごくて。
 世界の各地からいろんなものかき集めて。おかしなものいっぱいあるのね。
 しかもガラスのケースに入ってたりしないで棚みたいなのに無造作に置いてあんの。
 驚いたんが、鳥のコーナーで壁に鳥の頭だけ並べたのがあって、その横が足だけとか羽だけとか。
 そういうの見るとぞわーっとするよね。
 私、剥製の動物を望遠で撮るのが大好きで大英博物館でもそれ、やった。
 いい顔してんのね。撃たれたときの引きつった顔してないで、
 あれ、剥製作る人の趣味なんかね?半笑いなってて。それ、写真撮ってきた。
 パリのルーブル美術館行くと動物たちが並んでんねんね。ジャングル大帝みたいに。あれ、いい。
 ・・・美術館ってさ、行っても先輩の絵描きが並んでるのと変わりない。
 先輩の先輩たち。それって絵がたいしたことないって意味じゃなくて。自分らとつながってる。
 絵なんてオリジナリティあるものってもうどこにもなくて。パクリよ、パクリ。
 でも、先輩の絵をパクるとすぐばれるから、遠い昔のをパクるといいんよね。
 博物館に置いてるのとかさ。だから私、今、大英博物館で見たのパクろうと思うてんねん」


羽織ってる濃紺のGジャンは背中に小さく白で「MAYA MAXX」と染め抜かれている。
なんかの弾みで、「一生ロックでいたいね!」と。
その言葉に、僕は好感を持つ。どこの国のどんな人であろうと、ロックな人はいい。


「絵なんて誰でも描けるのよ、実際。皆さんも小さいとき、描いてらっしゃったでしょう?
 あれなんでか分かる?ほめられなくなるからよ。大人になって絵を描いても誰もほめてくれない。
 だから誰も描かなくなる。おかしいよね、そんなの。
 ほめられなくても、描けばいいのよ。ほめられるような絵は、私らプロにまかしといて」


30分ぐらい喋って、ようやく描き始めたかな。
真っ黒な牛の絵。
まずはキャンバスを撫でるところから始めた。100号の大きなキャンバス。
日によっては全体を撫でることもあるし、日によっては同じ場所ばかり撫でるのだという。
撫でているうちに心の中に浮かび上がってくるものがあって、よし、描こう、となる。
描くとなると、ドキドキした気持ちになる。
「そのドキドキがなくなったら、私、絵、描かなくなるだろうね」


黒の色鉛筆でざっと顔を描く。左右の目をまずはキャンバスの左端に。
次に背中の輪郭を決めた後で、後は黒のオイルスティックで塗っていく。
巨大なクレヨンみたいなもの。バスキアのグラフィティ・アートもこれで描かれた。
オイルが乾かないようにしっかりと紙で包まれていて、使うときにはそれをはがさなきゃならない。
それがかなり面倒なようで、一番前に座っていた女の子が
「ちょっと替わりに剥いてくれる?」と手渡された。
この日は暖かかったのでよかったけど、寒いとオイルが伸びないのだという。
だからと言って、寒いとダメ、というわけではない。
描きやすいけど描いててうまくいかない日もあれば、
描きにくいけどそれがゆえにうまくいく日もある。


オイルスティックでキャンバスをこするように塗って、
その後、手で伸ばして色を広げていくというのを繰り返す。
30分ほどして出来上がっただろうか。
前足を描くのに苦労した。
最初に1本左か右に書いてしまうと、もう片方をどの位置に描くかというのはとても難しい。
なるほど、と思った。
今回十牛図ということで牛を描いてみて、足の大事さがよく分かったとも語る。
顔や体ではなく、足に力強さというものが現れる。


最後に牛の立つ地面をさっと1本の線で描く。
「簡単なもんだよね。足の下に線を書くだけでみんな地面だと思ってくれる。
 共通言語があるから伝わるものと、共通言語に頼らないものと。
 その使い分けが難しいよね」


「よし、できた」と牛に名前をつける。
顔を左側にして描かれたから、「左近」となる。
最後に、両目を黒く塗って完成。


ここで僕は1度会場を出た。
引き続きサイン会ってなってたけど、サインしてもらうための画集を買っていない。
そもそも、今回のライブペインティングのきっかけになった十牛図とは何か、その目で見ていない。
美術館に戻って絵を見てみる。
1階は半紙に描かれた絵と書。
モチーフとなるキャラクターや文字、漢字、言葉があって、
そこに背景やさらなる言葉の連なりを書き足していく。
カラフルな色彩と大胆な構図ででっかく真っ黒に描かれた(「書かれた」ではない)文字。
言霊がそのまま捕まえられて紙の上にプリントされたかのよう。
面白い絵だな、と思った。今まで知らなかった。
これは芸術としてとても面白いし、他にはない、かなりの境地に達している。


その小ささゆえか館内は面白いつくりになっていて、
1階から2階へエレベーターで昇って、2階から階段を上って3階へ、
2階に引き返してエレベーターで5階へ、最後にエレベーターで地下へという順路を辿る。


十牛図を見る。
そもそも十牛図とは中国で宋の時代に禅の修業のために描かれたものであるという。
牛は追い求められる側の自己を、牧童は追い求める側の自己を表し、
10の段階をもってその追求がなされる。それが絵と漢詩とで表現される。
会場にはオリジナルの十牛図を換骨奪胎して描いた10枚の1組と、
MAYA MAXX 自らの絵と言葉で描いた10枚の1組とが分かれて展示されていた。
どちらも甲乙つけがたいね。
東京で開催されることがあったら、ぜひとも見てほしい。
(上記展覧会公式サイトで絵がいくつか載ってます)


5階に茶室があって、MAYA MAXX による掛け軸が掛かっていた。
曰く、「大自在」
深みのある、いい言葉だと思う。


地下は常設の北大路魯山人の鉢など。


画集を買ったら、サイン会の整理券をくれる。
禅居庵に戻って順番を待つ。
1時間半ぐらいかかっただろうか。僕の番になってウサギの絵を描いてもらった。
他の人たちは持ってた携帯やデジカメで一緒に写真を撮ってたけど、
僕はそこまではまあいいかと撮らなかった。
禅居庵を出て、その1時間後、京都を後にした。


最後に、画集の1ページ目に書かれていた詩を引用します。
(実物は活字ではなく、本人の書によるもの)
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何でも  つかむ
どこでも つかむ
いつでも つかむ
いろいろ つかむ
いっぱい つかむ
どんどん つかむ
迷わず  つかむ
しっかり つかむ


つかんで離さず
つかんで忘れ
つかんで捨てる