高村智恵子とジョージア・オキーフ

このところ高村光太郎の『智恵子抄』を何度か読み返した。
「智恵子は東京に空が無いといふ」で知られるあの『智恵子抄』だ。
福島県二本松市が出身だったとか、家は裕福であったが没落したとか、
晩年は心を病んで長期入院していた病院で切り絵をつくっていたとか、
そういうことを知った。
切り絵は身の回りのものを描いていた。
鮮やかな色合いなのに、寂しくて儚い。
それはもはや急須や葡萄といったものではなくなっていた。


ジョージア・オキーフとのつながりが話題になって、なるほどなと思った。
二人の間に直接的な親交があったとか
海を越えて共通の知人がいたとかそういうことじゃなく。
精神性の共感点とでも言うか。
アメリカの画家。ニューメキシコの大地やそこに転がる牛の頭蓋骨を描いた。
それが高度な抽象性へと至る。


それでいくと僕はエミリー・ウングワレーも似ているんじゃないかと思った。
アボリジニの画家。やはり大地と植物と身の回りのものを描いて
亡くなる数日前の絵はやはりこの世ならぬ抽象性を獲得していた。


先週からジョージア・オキーフの評伝を読んでいた。
(『知られざるジョージア・オキーフアニタ・ポリッツァー)
その中でたくさんの絵を描いているけれども、この本の中に図版はない。
絶版になっていた TASCHEN の画集を取り寄せて、合わせて読んだ。
写真家として有名な夫、アルフレッド・スティーグリッツの写真と
ジョージア・オキーフの絵が並んでいるページがいくつかあった。
例えば、同じニューヨークの摩天楼を写真で撮ったものと絵として描いたものと。


上京して2年目だったか、寮の友人たちと夜、横浜の中華街で食べることになった。
せっかくだったので僕は昼から出て横浜美術館に行ってみた。
初めて聞く画家の簡素な絵が飾られていた。
花弁や牛の頭蓋骨ばかり。荒涼としていた。正直よく分からなかった。


今、それらの絵を見返してみて、言葉ではうまく説明つかないけど
何かが少しわかったように思う。
感情とか出来事とか、そういうのを超えたもの。
虚無ではなく。決して死へと向かうものではなく。
生命の深淵、のようなものがそこにはある。
土のひとかけらのような。
還るべき場所として。それら感じながら、生きる。