「ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと」

最近話題?とのことで読んでみた。


世界のトップクラスのITアーキテクト
エキスパート中のエキスパートがその哲学を短いエッセイで語る。


ここで言うアーキテクトとは
単なる設計者ではなく(もちろんプログラマーでもない)
構築するシステムの全体像を統括しながら
ビジネスサイドとの橋渡しをする人ということになります。


例えば、一番最初。
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01「システムの要件よりも履歴書の見栄えを優先させてはならない」
 ニティン・ボーワンカー


 私たちエンジニアが、テクノロジーとかメソドロジーとかアプローチといったも
のを奨めるとき、それらが問題解決にもっとも適しているからというのならいいん
ですが、履歴書に書き加えたいだけという場合があるんです。でも、こういう決め
方は、良い結果を生みません。
(後略)


p.2


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この手の本では得てしてどれもそうですが、
IT業界にいないと分からない。アーキテクトを経験していないと理解できない。
そういう類の「知識」ではなく、
そもそも人として、ビジネスマンとして、という「知恵」が語られていきます。
上で引用した文章も、用語を多少着替えれば他の業界にも当てはまりますよね。


で、まあ、こんな感じで108個の、現場発信のタフな哲学が語られていくわけです。
(原書では97個、日本語版は日本人のトップアーキテクトによる11個を追加)



僕が読んでて、最も印象的だったのは以下の項目。
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08 「システムではなく、コミュニケーションをデザインせよ」
 鈴木雄介


 アーキテクトの仕事というと「システムを設計すること」と思われがちですが、
実際にはそうではありません。アーキテクトがデザインすべきなのはコミュニケー
ションです。システムはコミュニケーションを実現するための手段に過ぎません。


(中略)


 ですから、アーキテクトはシステムをデザインする前に、コミュニケーションに
ついて考えなくてはいけません。システムは道具です。道具をデザインするのに、
その目的を知るのは当然のことでしょう。どんな人たちが、どんな目的で、どんな
コミュニケーションをしているのかを知るのです。


(中略)


 私は本来、「システムのユーザー」という存在はいないべきだと思っています。
デザイナーの西村佳哲さんは、ユーザーについて次のように述べています。


  書籍ユーザなんていない。いるのは、リーダーです。サーフボードユーザなん
  ていない。いるのはサーファーです。最終的なゴールは、「ユーザ」と呼ばれ
  る存在のいない経験の総体をデザインすることだ。


 システムも同じです。システムユーザーはいないほうがいい。いるのは「コミュ
ニケーター(コミュニケーションをする人)」です。アーキテクトは、ユーザーと呼
ばれる存在のいない、コミュニケーションの総体をデザインするべきなのです。


p.212-213
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自分でまだ咀嚼できていないのでうまく言えないですが、
「書籍ユーザ」よりは確かに「リーダー」の方がしっくりくるよな、と。
これって何なのだろう?


「書籍ユーザ」という造語について、
ロールとツールの区分けが曖昧なので違和感を感じた
というような言い方もできるんだろうけど、


「書籍ユーザ」よりも「リーダー」という言葉の方が広がりを持っていて
メタファーやシンボルを惹きつけやすく、
デザインというものが作用する領域もそういうところなんじゃないか、
それが世の中の暗黙のルールなんじゃないかと。
やはりうまく言えてないですね・・・


いや、ただ単に「ユーザ」って言葉が受動的な含みを感じさせるという
ごく単純なことなのかもしれない。
「リーダー」の方が行為の主体ってニュアンスがある。
意思を持って、「読む」という。
だとすると、主体的にデザインを生み出し、発信する人と
主体的にそれを受け止めて何かを考え、次の行動に結びつける人
との関係性が大事だということか。


確かに、受身で受け止めるだけの人のためにデザインする、
何かを提供することはつまらない。
いや、つまらないと言っちゃいけない。
マスプロダクションは何も考えず
消費されていくことにこそ意味があるんだろうから。


…というふうにグルッと頭の中が回って、
そうか、デザインにも2種類あるんだな、
アート的なものと非アート的なものと、ということを知る。
で、アート的なものに接する人のことを確かにユーザーとは呼ばないよなと。


発言者の意図とはかなりそれたけど、そういうことを考えた。
受身の姿勢で主体性ゼロの状態で目の前に現れたアートは
ただのノイズでしかないのか?
といったことに思いは広がっていく。


ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと

ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと