新人時代

夕方、久しぶりに部会に出席する。
7月に配属された新人3人が、
3カ月を経てどういう成長があったか振り返るというプレゼンがあった。
「余裕を持った計画を立てられるようになって、自分のできることを増やしていきたい」
「自分で考える時間と周りに聞くタイミングのバランスが難しい」
「メモを取らず、何回も同じ質問をしてしまうことがあった」
といった発言があった。
 
自分が新人だった頃ってつい数年前のように思っていたのが、
いつのまにか22年目。
そんなに経つのか……、と気が遠くなった。
今から22年後というと70歳近い。
折り返し地点はとっくに過ぎているのだ、ということに気付くともっと気が遠くなった。
残り時間どう過ごすか、ということを最近ようやく考えるようになった。
夏の間遊んでいたキリギリスは冬を迎えて……、となりそうだ。
 
暗い話はやめよう。
学生時代を終えて社会人になって働いて給料を得る、
という人生最大の環境の変化のひとつを迎えたがゆえに
新人時代の思い出は辛かったことも、楽しかったことも、たくさん覚えている。
 
初めて配属された部門は「サイバービジネス部」という名前で、時代を感じさせる。
1999年、インターネットビジネスがIT業界で本格化し始めた頃で
「EC」や「IT」という言葉もまだ浸透していなかった。
googleってもんがあるらしいよ? なにそれ? という状態で
検索するという行為がここまで重要になるとは想像もしていなかった。
yahoo! 検索を使う、ということが多かった。
 
新人のやることは主にプログラミングと電話取りだった。
OJT では JAVA だったんだけど
applet や servlet とか言ってた時期でちっともわからず。
今はもうかなり時代遅れなんだろうか、ということすらわからず。
ここで技術者としてはアッサリ脱落したなあ。
実際のプロジェクトでは CodFusion というスクリプト系言語で開発することがあった。
あとは、Microsoft AccessVBA とか。
これで食ってくのはまず無理だと
2年目、3年目からは設計がメイン、開発はパートナーに振るようになった。
 
PJリーダー補助みたいな感じで
お客さんと開発パートナーの間の仕様調整をするというのが10年ぐらいの仕事だった。
以後、プロジェクトマネージャーやリーダーでもなく、
プログラマーでもアーキテクトでもなく、もちろん、営業、コンサルタントでもない。
それでも職種は? と聞かれたらシステムエンジニアという
なんとも不思議な、曖昧な状態で20年生きてきた。
そういう人はもはや他社に転職できるはずもなく。
今の会社で生きていく方法だけを手に、追い出されるまで待つという……
いや、また暗くなった。
 
明るい話題って食べることしか思い出せない。
新人時代、オフィスが八重洲にあって日本橋に近いというのがよかった。
昼はたいめいけん、夜は高島屋の地下でタイムセールの弁当、
という今思うとかなり恵まれた環境だった。
社食もあって、同期と食べてるとふらっと社長が
ここいいか? と隣に座ってきて、
君は今どういうことやってるの? と聞かれて話したりした。
会社の規模が大きくなって大きなビルに移ったりで
ああいう体験も新人の時だけだったなあ。
 
仕事が早く終わりそうなときは先輩たちから声がかかって
しょっちゅう八重洲界隈の店で飲んでいた。
なんにしても仕事で遅いか飲んでるかで平日はアパートに寝に帰ってるだけ。
給料の大半が飲み代に消えていた。(もちろんCDにも)
今思うとよく暮らせていたもんだ……
そういうところは楽しかったな。
入社3年目ぐらいまでは飲んでばかりであの頃のことはほとんど覚えてない。
それぐらい楽しかった。
あの頃の先輩たちとはもはや会うこともないというのは寂しいものだけど。
 
ここまで書いてきて思ったのが、
この年になるとほんとどんどん記憶がなくなっていくな。
恐ろしいぐらい、忘れていってる。