線を引く

昨日は新居でハウスクリーニング。
こういうのをケチったらいかんと誰もが知る最大手へ。
リーダーは信頼できる方だった。
ああ、安心して頼めると。声や背中でわかる。
18時までが営業時間で、見積では17時に終了。
予定通り17時過ぎに終わって、まだ少し時間があるから
ワックスをもう少し塗っておきましょうとなった。
これ、安いとこに頼むと17時より前に機械的に終わって
ササッと帰ってしまうんだろうな。


で、本題。
せっせと働く彼らを見てこんなことを考えた。
リーダーだけが日本人で後は皆外国人だったら不安だな、嫌だなと。
うまくは言えない、複合的な不安。
自分の新居に見知らぬ外国人が何人といて
皆が同じ国同士で僕にはわからない言葉で何かを話している。
なんだかぞっとする。
ああ、ここが僕の中のボーダーラインなんだ。
線を引いてこちら側から「異」となるのを向こう側に押しやりたい気持ち。
ヘイトスピーチに「なんだかな」と不快感を抱く僕であっても
根っこでは彼らと変わらないのか。


何回か書いたことあるけど
行楽地で外国人観光客を大勢見かけたときの気持ちもそうか。
でもあれはまたどこか違うものがあって。
日本人のふがいなさというか。
観光産業としては受け入れたほうがいいのはよくわかるけど、
うーん、なんでこんな簡単にみもふたもないことになってしまうのか。
0と1しかないような。


逆に言うと、僕が外国に行ったときにどうなるか、
何を期待しているのか、何を恐れているのかという話で。
僕が外国旅行に行くとき、言葉もろくに話せないから
たいしたコミュニケーションにはならない。
ものを買うとかそれぐらい。
入り込めずポツンとしたまま、異邦人のまま、ガイドブックに沿って見て回るだけ。
距離が縮まることのないまま、空港から飛行機に乗って帰る。
そんな自分だから線を引いてしまうのだと思う。