昔、卓球部だった

先日卓球をやったとき、昔卓球部だったのは僕だけだった。
驚かれる。「え? オカムラさん、スポーツやってたんですか!?」


小学校、中学校と卓球部だった。このことはあまり書いた記憶がない。
放課後ずっと卓球の練習をしていたというのに。


小学校は曜日が決まっててクラブ活動程度、
本格的に練習したのは中学校からとなる。
校舎の周りを走ったり、腹筋や腕立て伏せをしたり。
その後空いてる卓球台で誰かと打ち合っていた。
漫然とではあっても、僕なりに真剣にやっていたと思う。
とはいえ練習の始まる前は将棋を打ってばかりいた。
先を考えるということのできない僕は
「大手飛車取り」みたいな状況が好きで、負けてばかりいた。


もちろんのこと、卓球もまた強くなかった。
何事も自己流、というのの最たるものだった。
年に1回だったか2回だったか、市の大会があった。
合浦公園脇の体育館。
団体戦には出ることはなかったが、個人戦には出た。
3年のとき、1回戦を勝って2回戦で負けた。
当時優勝するような強かった人たちのことは今でも顔を覚えている。
古川中学校の××と北中学校(だったような)の××と。
彼らはその後どうしただろう? 高校はまあ続けたとして、さらにその先。
(僕は今、松本大洋の『ピンポン』を思い出す)


1年のときに皆でラケットを買いに行き、
(ラケットとラバーを別々に買って自分で貼る)
2年のときは揃いのというか似たような黒のウェアを買った。


そうだ、合浦公園で試合が終わると
公園内の店でいつもフライドポテトを買って食べた。
皮付きで大きなポテトが揚げ立てで。
友達が前から知っていた店だった。


高校に入って卓球をやめた。
続ける理由はないし、やはりなんだか卓球ってかっこ悪い。
帰宅部でいいじゃん。
(それが後に演劇部へ)


ラケットはケースの中に入れたままほっとかれる。
大学何年生だったか、夏に帰省したときに開けてみたら
ラバーが腐って木枠に貼り付いていた。
ケースごと捨てた。それで終わり。


僕が大学生のとき、まだ小さな卓球愛ちゃんが試合のたびに泣いていた。
その後青森山田高校に入って、「へぇー」と思う。
青森って実は卓球王国だったということを思い出す。
中学校の市の大会もレベルが高かったと聞く。
今がどうなのかはよく分からない。


以上、卓球の思い出でした。