センター試験の思い出

ニュースを見ていたら今日・明日とセンター試験であるという。
僕が受けたのは18歳のときだったから、ちょうど18年前になる。
人生の中間地点。それをきっかけに上京することになったのだから
大学受験というのは僕の人生にとって最大のターニングポイントとなる。


センター試験のことを思い出してみようとしたが、あんまり出てこない。
死活問題だったがゆえに、どの教科が何点だったかというのはすぐ出てくる。
英語は模試では毎回ほぼ満点だった。発音・アクセントが苦手なだけ。
なのに本番では一番最初の科目ということもあってうまく波に乗れず、
自分にしてみればありえないような点数となった。大番狂わせ。
その一方で苦手としていた数学が?の方でなぜか満点だった。
IIは案の定ボロボロでしたが。
トータル683点で志望校に入るにはボーダーラインすれすれ。


ま、そんなことは今となってはどうでもいいことで。
会場は青森市ではなく弘前市で、弘前大学だった。
2日間に渡って受けるということで前日、金曜から弘前入りした。
青森駅前に集合してバスに乗って移動する。
希望者を募ってということだったけど、学年の大半が利用したと思う。
私服で行ったら皆学生服を着てて、
念のため持ってきてたのを慌てて駅のトイレで着替えた。


そこから先、記憶がほとんどない。
バスの中、弘前に着いてから。
恐らくずっとZ会の英単語学習のなんかをずっと読んでたのだろう。
ホテルに着いてからも。
全科目の頼りにしてた参考書を持ち運ぶため、
バッグはとてつもなく重くなっていたはずだ。


ホテルは2名1室で、クラスの名簿順に組み合わせを決める。
僕が同室になったのはそれほど仲のよくなかった普通のやつで、
風邪を引いて熱を出していた。
かわいそうな状況で、その年は浪人したはず。
そんなことだけを覚えている。


構ってあげるわけにもいかず、僕はひたすら焦るようにして勉強していたのだろう。
外に出て、弘前の街並みをブラブラ見て回るってこともしなかった。
どこで何を食べたかすら記憶にない。ホテルの中なのか、外なのか。
そもそもチェックイン・チェックアウトは自分でしたのかどうか。
浴槽にお湯を張っておくと寝てる間乾燥しないということで、それをやっといたこと。
記憶に残っているのそれぐらい。
よほど切羽詰っていたのだろう・・・
帰りもバスに乗って帰ってきたのだろうか。


そもそもの話、その頃全体の記憶がない。
2学期の途中から授業がなくなって、
受ける科目とそのレベルに応じた補習で毎時間教室を移動する。
人によっては家で勉強してるのかしてないのか、ほとんど出てこなくなった。
流動的で何もかもが「仮」の状態にある毎日。
3学期は出てきていたのか、それとも家の中にいたのか。
正月も家で一人問題集を解いていたように思う。
小論文の課題を指導してもらいに職員室で待っていたら
担当の先生の機嫌が悪くてものすごく怒られた。
あれもいつのことだったか。


四当五落」なんて言われてて、
4時間しか寝ないで勉強してるなら合格、5時間以上寝ていたら不合格。
そんな状態に近かったな。起きている間はずっと受験勉強。
あんなに集中して物事に取り組んで
全身をそこに預けていたのってあの時だけだと思う。


思い出せないのは、忙しすぎたからじゃなくて、
2度と思い出したくないからではないか。


各大学で受けた2次試験のことは、またどこかで書きたい。