鏡の向こう側

鏡の向こう側には別の世界が広がっているという考え方がある。
死後の世界であったり、異次元であったり、端的に言って幻であったり。
鏡に映っている僕は僕ではなく、別の世界の、僕の姿をした全く別の人物。
僕が鏡に背を向けた瞬間、そいつは僕に向かって舌を突き出すという。
誰もそれを見たことがないというだけ。実はそういうものなのかもしれない。
アナログが地デジに置き変わって旧式のテレビが砂嵐となったように、
何かの力が途絶えてしまってある日突然そこには何も映らなくなる。
そんなことだってあるかもしれない。
この世界は実は物理的な法則と同じぐらいに魔術によって支配されていた。
それを信じる人が一人もいなくなって忽然と消える。
地球もまた回転を止める。
僕と君はどれだけの言葉や表情を用いても意思の疎通ができなくなる。
つなぎとめていた何かがバラバラになって、世界はあっさりと終わりを迎える。


…そんな想像がゆるゆると広がっていくぐらい、鏡とは不思議なものである。
呪い(まじない)に使われ、時として忌み嫌われて隠される。
初めて鏡というものを見つめた人の、
そしてその意味のわかった人の驚きたるや。
ジャック・ラカン鏡像段階を持ち出すまでもなく
今や一人の人間の知性、その発達過程には欠かせないものであって。
鏡に映る自分の姿を通じて、内側からの視線が外側からの視線と交差する。
そのとき初めて自己というものを客観的に捉えられるようになる。
人類最大の発明は車輪ではなく鏡だと思うんだけど、どうだろうか?
(とは言いつつ、結局は「文字」ってことになるか)


人類が文明というものをなくしたとき、最初に失われるのは鏡だと思う。
言葉はもう少し生き延びるだろう。物としての形を持たないし、
集団の中で原始的なコミュニケーションを交わす必要があるからだ。
鏡は、自分と鏡との1:1の関係性しかありえない。
そのようなもの、すぐに忘れ去られてしまうだろう。
個人という概念は捨て去られて、ただの生き物の群れとなる。
やがて言葉もまた単なる声になり、音になり、意味というものを失っていく。


(そしてまた何十万年か何百万年化経過したのち、
 地上に残された最後の鏡を見つけた人類の末裔が
 そこから知性というものを一から作り出していく。
 驚きの声が初めての言葉となり…)