「杉浦康平・マンダラ発光」

昨日の夕方、教室の汁講(オフ会)の一環として
ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)に
杉浦康平・マンダラ発光」を見に行った。
http://www.dnp.co.jp/CGI/gallery/news/detail.cgi?seq=0000166&type=1&t=1
(編集学校関係の方にお会いするんじゃないかと思っていたら、やはり…)


武蔵野美術大学で現在開催されている
杉浦康平・脈動する本 ―― デザインの手法と哲学」
http://mauml.musabi.ac.jp/museum/archives/228
こちらと連動するようだ。


杉浦康平の手掛けた厖大な装丁の中でも、集大成的な超豪華大型本
 『伝真言両界曼荼羅
 『天上のヴィーナス・地上のヴィーナス』
 『西蔵曼荼羅>集成』
この3冊だけ(+補足の音と映像)を展示する。
1m四方はあるのか、とにかくサイズが大きくてカラー写真が美しいので、
これをパーツにして配置するだけでひとつの展覧会が成り立ってしまう。


マンダラ二点がボッティチェリ「春」「ヴィーナスの誕生」を
挟み込んでいるという構成。
現物ではなく、それを高度な技術で撮影して上質紙に印刷したもの。
じゃあ物足りないかというとさにあらず。
見るべきはそのデザインや意匠であって
そこに込められた情報量の多さ、可能性の豊かさに圧倒させられる。


曼荼羅もこれだけたくさん並んでいるのを初めて見た。
今回初めてじっくりと眺めて、そのすごさにようやく気付かされた。
外側に円があってこれは宇宙を表わし、その内側に方形があって大地となる。
そこから先は円と方形と三角を自由に組み合わせて、積み重ねて、
仏の現れる場を描きなさいという。
それは仏の数だけ無限となる。
アジア的多神教はそれを一つ一つの場に完結させる。多数の点的。
西洋的一神教はその世界観とキャラクターの設定を元にストーリーを展開させ、
その瞬間瞬間を切り取る。一本の線的。
ボッティチェリと並べられることで、その意味が分かった。
曼荼羅というもの、確かにこれははまる。デザインの極地だ。
円を多用するもの、方形を多用するもの。
幾何学的な整合感を求めるもの、すり抜ける何かを求めるもの。


帰りに「世界のグラフィックデザイン ggg books」の杉浦康平
ベルリンのアーティスト「シアン」のを買う。


そして『杉浦康平…デザインの言葉』のシリーズを買うと
限定20名までサインカードがつくということで
『アジアの音・光・夢幻』を思わず買ってしまった。
自分は意外と隠れファンかもしれないとようやく気付く。
http://www.amazon.co.jp/dp/4875024398/